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市場移転で揉める「豊洲」関東大震災の瓦礫を埋めて誕生した
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2017.04.17 12:00 最終更新日:2017.04.17 12:00
市場移転問題で混迷が続く豊洲(東京都江東区)。街には高層マンションが立ち並び、子連れの女性の姿が目立つ。
が、この豊洲、わずか90年前までは海だった。関東大震災の瓦礫処理で埋め立てられてできた若い街なのだ。
1939年には東京石川島造船所(現IHI)が造船所を開設し、2002年まで操業していた。ウォーターフロント計画の先駆け「リバーシティ21」(中央区佃)も同社の工場跡地に建っている。一帯は同社の企業城下町だった。
豊洲駅周辺には、一部取り壊されながらも都営住宅が残る。「かつては、住民の大半がIHIの社員か、都の港湾局職員だった」と語るのは、一角の商店街で米穀店を営む菅谷満雄さん(69)。
今のような5階建てのアパートが建ったのが1967年から。
13号棟まで建てられたが、それも昨年から順次解体され、2020年までに7棟14階建ての新築マンションへと生まれ変わる。
「タワーマンションの人たちは、みんな買い物は『ららぽーと』ですませちゃう。角のセブン-イレブン日本第1号店ももとは酒屋さん。大繁盛している? 先見の明があったよね」(同前)
移転したのはIHIだけではない。新市場用地にあった東京ガスの工場はむろん、東京電力の火力発電所も2000年に停止した。日新製糖の工場も今はマンションだ。都内最大級というホームセンターの向かいで、クリーニング店を営む川島ヨネ子さん(74)は回想する。
「亡くなった夫は、今の場所でカメラ店を開いていました。向かいは建設会社の巴コーポレーションの工場で、現場写真の現像依頼が絶えなかったわね。それが今は小学校が2つもできてねえ」
マンション住民の増加で、全国にも珍しく世代交代に成功した豊洲。寝具店を営む金井健次さん(77)も大忙しだ。
「マンションの人の大半は手作りの寝具なんて見向きもしないけどね。最近ではテレビの散歩番組などで街や店がよく紹介されるんで、半年も休めてません。若い人も覗いていってくれますよ」
そんな豊洲に今度は五輪がやってくる。数々の会場が周辺の東京ベイゾーンに、隣の晴海には選手村ができるのだ。レトロな商店街と団地、背後の高層マンション。妙に絵になる光景は、もうすぐ消える。
【豊洲の今昔90年】
・1920年代 関東大震災の瓦礫の埋立て工事が始める
・1937 埋立て工事が終わる。賞金100円の公募で「豊洲」と命名される
・1939 石川島造船所(現IHI)第2工場など、大型の造船所、鉄工所が操業を始める
・1941 東京港が開港
・1943 巴組鉄工所(現巴コーポレーション)豊洲工場設立
・1945 空襲。終戦後、港湾施設は占領軍が接収
・1949 キティ台風が上陸、大きな被害をもたらす
・1950 豊洲石炭埠頭が操業を開始
・1956 新東京火力発電所、東京ガス豊洲工場が運転開始
・1967 都営辰巳一丁目アパート竣工(1969年まで)
・1972 日新製糖がフィットネスクラブの先駆け「ドゥ・スポーツプラザ」をオープン
・1974 セブン-イレブン第1号店がオープン
・1988 地下鉄有楽町線が開通(新富町~新木場間)
・1992 NTTデータ本社が入居する豊洲センタービル、日本ユニシスが入居する豊洲ONビルなど、高層オフィスビルが建ちはじめる
・2000 豊洲初のタワーマンション「キャナルワーフタワーズ」竣工/新東京火力発電所が発電を停止する
・2001 築地市場の豊洲への移転が決定
・2002 I H Iの造船所がすべての操業を終了
・2005 巴コーポレーション豊洲工場跡地に都内最大級のホームセンター「スーパービバホーム」オープン
・2006 新交通ゆりかもめが開通(有明~豊洲間)/IHIの造船所跡地に大型ショッピングモール「ららぽーと」が開業
・2016 築地市場の新市場への移転が延期に
取材、文・鈴木隆祐 写真提供・東京都港湾振興協会
(週刊FLASH 2017年3月28日、4月4日号)