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チューリップ・バブルで知る「イスラムとヨーロッパ」深い深い関係

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.06.06 20:00 最終更新日:2022.06.30 12:57

チューリップ・バブルで知る「イスラムとヨーロッパ」深い深い関係

 

 チューリップと言えばオランダを思い浮かべる人は多いと思います。しかし、この花の原産地はヨーロッパではなく、チューリップの栽培は10世紀頃にペルシア(イラン)で始まったと見られています。

 

 これがトルコに伝わり、さらに16世紀にヨーロッパに紹介されて爆発的に流行しました。チューリップは現在のイランの国花です。イランの代表的詩人のオマル・ハイヤーム(1048~1131年)の詩集『ルバイヤート』にもチューリップは詠まれています。

 

 

 チューリップは、イランのペルシア語では「ラーレ」と言います。イランからトルコのアナトリア(アジアの西端で以前は「小アジア」と呼ばれていた地方)には、トルコ系民族のセルジューク集団によってもたらされ、やはりトルコ語でもチューリップは「ラーレ」と呼ばれるようになりました。

 

 その後、オスマン帝国統治下でさまざまな品種のチューリップが開発され、栽培されるようになりました。

 

 1551年、エディルネ(現在のトルコの西端にある都市)でチューリップの美しさに魅せられたヨーロッパの人物がいました。ウィーンから派遣されていたイスタンブール駐在の神聖ローマ帝国の大使で、著作家、薬草学者のオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(1522~1592年)です。

 

 彼はその美しい花の種子をオーストリアに送り、これがチューリップがヨーロッパに紹介された最初の機会になったとされています。

 

 1573年、ウィーン帝国植物園で、医師・植物学者のカロルス・クルシウス(1526~1609年)がチューリップを植え、1592年に多様な色彩のチューリップの品種改良に成功しました。

 

 彼はその後、オランダのホルトゥス・ボタニクス・ライデン(ライデン大学植物園)の最高責任者となり、1593年末に自宅と植物園にチューリップの球根を植えました。

 

 そしてカラフルなチューリップがオランダ人の心を急速にとらえていくことになったのです。

 

 オランダでは多様な色彩のチューリップの需要はあっという間に供給を上回るようになり、めずらしい種類の球根の価格はオランダなど北ヨーロッパでは法外とも言えるような額まで吊り上げられました。1610年になると、新しい品種の球根は花嫁の持参金と同様とも言われるほど高額になっていきました。

 

 特に1633年から1637年にかけては、オランダではチューリップが大流行して「チューリップ・マニア」と言われる熱狂期がありました。それまでは、チューリップに関わるビジネスはプロの栽培者と専門家に限られていましたが、チューリップの価格の高騰によって、中間層や貧困層までがチューリップ・ビジネスに関わるようになったのです。

 

 住宅、不動産などが球根のビジネスのために抵当に入れられ、球根が地中にある中でも投機的な売買が行われました。いわば「チューリップ・バブル」とも言える状態で、1637年初頭にこのバブルがはじけると、多くのチューリップ・ビジネスに関わっていた家庭が破産に追い込まれる事態となりました。

 

 それほどの魅力が、このイスラム世界から伝わった花にはあったということです。

 

 ただ、オランダではバブルがはじけましたが、ヨーロッパのチューリップはオスマン帝国に逆流。今度は「チューリップ時代(ラーレ・デウリ)」と呼ばれる流行をオスマン帝国にもたらしました。

 

 オスマン帝国第23代スルタン(皇帝)アフメト3世(在位1703~1730年)も、娘婿のイブラヒム・パシャ大宰相(サドラザム)とともにチューリップをこよなく愛し、1726年時点で登録した球根の種類は839種に及びました。また、オランダのような高騰を防ぐために公定価格も設定しました。

 

 このイブラヒム・パシャの執政期(1718~1730年)のオスマン帝国は、彼の英明な性格と有能な実務によって対外的には宥和政策をとり、内政においても平和で、とても安定していました。

 

 また、フランス・ブルボン朝との交流によって、ヨーロッパの趣味・風潮も採り入れ、絢爛・耽美な文化をつくり出しました。

 

 まさにきらびやかな文化の時代で、スルタンや大宰相はボスポラス海峡岸やイスタンブール郊外のキャット・ハネにある別荘や離宮で園遊会を盛んに催し、文人を招いて歌舞音曲を楽しみながらチューリップの花を愛でたのです。

 

 

 以上、宮田律氏の新刊『イスラムがヨーロッパ世界を創造した~歴史に探る「共存の道」~』(光文社新書)をもとに再構成しました。中東とヨーロッパかはいかに交わり、溶け合い、共存を実現してきたのか、意外な史実を紹介します。

 

●『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』詳細はこちら

 

( SmartFLASH )

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