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激ヤセから回復「愛子さま」ご成長の陰にイケメン体育教師

社会・政治 投稿日:2017.04.20 12:00FLASH編集部

激ヤセから回復「愛子さま」ご成長の陰にイケメン体育教師

 

 以前に比べふっくらとしたお顔に、取材陣から安堵の声が聞こえた。

 

「愛子さまは、昨年末から体調を崩され、そのおやせになった姿は摂食障害ではないかと指摘されるほどでした。しかしいまでは無事に回復され、ふだんどおりの暮らしに戻られているようです」(宮内庁担当記者)

 

 3月、学習院女子中等科の卒業式を迎えた愛子さま(15)。「激やせ」が心配されていたが、この日の様子は健やかそのもの。成長されたお姿に、安心した人も多いだろう。

 

 卒業式に際し、愛子さまは修学旅行の経験を書いた作文を公表された。この作文から、ご成長ぶりを読み取るのは、元文部官僚で京都造形芸術大学の寺脇研教授だ。

 

「鋭い感受性で、原爆が投下された広島の街を想像し、世界にはまだ同じような(悲しい)現実があるとして、平和を願っておられます。非常に大人っぽい考え方をなさっていることがわかります。これは、学習院の先生方の教育の成果でもあるでしょう」

 

 そんな学習院女子中等科のなかで、愛子さまに大きな影響を与えたといわれているのが、ある男性教諭だ。

 

「愛子さまの在籍されていた北組の主管(担任)である、保健体育のF先生です。40代で、テニス部の顧問を務めています。じつはこれは異例の人事で、女性皇族の教育は、女性教諭が担当することが多いのです。愛子さまも初等科から中1までは、黒田清子さんの同級生だったベテラン女性教諭が主管でした。それが、中2のとき50代の男性教諭が主管になり、そして中3になって、F先生が主管になったのです」(皇室担当記者)

 

 F先生と研究会で同席したことがある、白梅学園大学の増田修治教授が、F先生の印象を語る。

 

「テニスのおかげか、日焼けした肌が印象的なスポーツマンでした。ハンサムな方ですね。一般的に15歳というのは、自立への衝動が強くなる年齢です。そしてこのころ、父親以外の新たな異性との出会いが、自立への入口になることが多いのです。

 

 男性の体育教師には、ユニークで明るい性格の人が多く、愛子さまから見れば、新鮮な印象を持たれたのかもしれません。そんな体育教師の存在が、愛子さまの視野を広げてくれたと考えられます」

 

 振り返れば中3の一年間は、愛子さまにとって、公的式典への初参加など新しいチャレンジの増えた一年間だった。長期欠席が話題になったが、つねに「学校へ行きたい」と、周囲に漏らしていたという。健やかなご成長を支えたのは、先生と友達がいる、学校での時間だったのだ。

 

【愛子さまの作文全文】

 

世界の平和を願って

 

               敬宮愛子

 

 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 

 平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 

 そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 

 「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。(『卒業記念文集』より)

 

(週刊FLASH 2017年4月11日号)

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