7月8日に発生した安倍晋三元首相の銃撃事件。憲政史上最長の政権を率いていた安倍元首相の突然の死に、日本中が大きな衝撃を受けている。それは、“ライバル”も同じようだ。
「心にぽっかり穴の空いたような気分です。“安倍叩き”が、もうできないですからね……」
そう語るのは、“左翼系ニュースメディア”で記者をしていたという40代男性・久村実(仮名)さんだ。
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「第2次安倍政権のさなかには、『反安倍』というスタンスのニュースサイトが乱立していたんですよ。政権が発足した当時、安倍さんを信奉するいわゆる『ネトウヨ』が、非常に大きな勢力を持っていました」(久村さん・以下同)
ネトウヨへのカウンターとして、久村さんは保守的な言説を非難する記事を日々、量産していたという。
「いちばんの盛り上がりを見せたのは、2015年の安保法制への反対運動でした。うちの読者は、ほとんどが60歳以上。いわゆる学生運動などに共鳴していた世代がメインです。そこに、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)という、場合によっては孫ぐらいの世代の子たちが登場してきました。彼らとともに、もしかすると強大な安倍政権を倒せるかもしれない、というワクワク感がありました」
収益としても、非常に大きかった。
「安倍さんを批判する記事なら、なんでもアクセス数が稼げましたよ。“インチキ”“嘘つき”など過激な言葉を使えば、“反安倍派”の人たちが読んでくれました。それなりに広告収入も得られました」
だが、「モリカケ問題」を最後に、“安倍叩き”ブームは終わりを告げる。
「『モリカケ問題』は、大手メディアも厳しく追及していたので、そこと差をつくるのが大変でしたが、なかなか盛り上がりました。しかし結局、安倍さんは2020年9月に、持病の再発で辞任してしまいました」
後継の菅義偉元首相では、叩く対象として「弱かった」という。
「菅さんを批判するときでも、基本的には“安倍・菅政権”と書いていました。菅政権は安倍政権の方針を引き継いだものだから、というのが建前ですが、やはりネームバリューとして、安倍さんのほうが大きかったんです」
だが、彼らにとっての“宿敵”は非業の死を遂げてしまった。
「今、安倍さんのことを“聖人化”する動きが出ています。銃撃事件は絶対に許されないことですが、『モリカケ問題』をはじめとする安倍政権の問題点を、なかったことにしてはいけません。
そういう思いはありますが……、正直、記事を書く気が起きないんですよ。何を言おうが安倍さんは亡くなってしまい、岸田首相は『聞く力』と言ってぼんやりしたまま。ひとつの時代が終わったのだという、喪失感だけを抱えています」
銃撃事件の余波は、まだまだ収まらない。
( SmartFLASH )