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『ABCの歌』を持ち帰った「ジョン万次郎」子孫は富士通社員
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2017.05.05 11:00 最終更新日:2017.05.05 11:00
ジョン万次郎は14歳のころ、土佐で漁の手伝い中に海で遭難。捕鯨船の船長ホイットフィールドに救助されると、アメリカ本土に渡り、英語や航海術などを学んだ。
初めて蒸気機関車に乗った日本人であり、『ABCの歌』を持ち帰ったのも万次郎だ。帰国後は、幕府や土佐藩に協力し、明治維新を経て、東京大学の英語教授をしていた。
「私が先祖を意識したのは、小学2年生のとき。教科書に万次郎が載っていて、クラスの子にサインを求められたことですね」
5代目の子孫である中濱京さんは、現在、富士通でシステムエンジニアをサポートする仕事をしている。
「万次郎は弱い立場の人を助ける隣人愛の人でした。そのおかげか、万次郎の息子、そして私の父も医者になりました。また万次郎自身も、うなぎ店で食事をすると、わざと残して折り詰にし、恵まれない人たちに分け与えていたと聞いています」
中濱さんは、会社の仕事以外でも忙しい。
「中濱家は日米交流が盛んで、私の子供のころにも家にアメリカ人がいました。ホイットフィールド家とは、鎖国の時代からいままで、子孫同士のつながりが代々あります。いまは、そのつながりを原点としたホームステイ活動『草の根交流サミット大会』を手伝っています。26年間で4万5000人も参加しているんですよ。将来の夢は万次郎ミュージアムを本人が暮らした江戸・東京につくることです!」
日本に初めて民主主義を紹介した人物の子孫は、いまも日米文化交流の架け橋なのだ。
(週刊FLASH2017年4月11日号)