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靖国参拝は1975年まで当たり前だったのに…首相の8月15日参拝、なぜ問題化したのか

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.07.21 11:00 最終更新日:2022.07.21 11:00

靖国参拝は1975年まで当たり前だったのに…首相の8月15日参拝、なぜ問題化したのか

問題の発端となった三木武夫首相の靖国参拝(写真・共同通信)

 

 1975年、というより昭和50年、三木武夫首相は靖国神社に参拝しました。

 

 それまで歴代総理大臣は春秋の例大祭に参拝していたのですが、三木は「8月15日」に参拝し、「私人として」の参拝を不必要に強調したパフォーマンスを行ったので、以後、マスコミが「私人か、公人か」と騒ぐようになりました。首相の靖国神社公式参拝については現在でも揉めています。

 

 

 参拝の背景には、少数派閥の三木の政権基盤が弱体であるため、右派の支持を得ようと人気取りに走ったことがあります。第2派閥の福田赳夫を味方につけようとしたのです。

 

 三木本人は党内左派の代表と目されていましたが、実は自民党の保守政策集団「青嵐会」の中心人物である石原慎太郎や中川一郎とも懇意にしていました。石原や中川は福田別動隊です。三木は青嵐会の意をくんで「8月15日」の終戦記念日に参拝しました。

 

 このとき三木は「あくまでも私的参拝だ」と強調して、国から支給されている黒塗りのハイヤーを使わず、わざわざ民間のタクシーを使い、自らの財布からポケットマネーを払っている姿を撮影し、そんな三木のパフォーマンス映像がテレビで放映されました。

 

 それが裏目に出ます。三木を心情的に近いと思っていたリベラル(当時はニューライトと言った)の河野洋平ら若手は裏切られたと思います。

 

 一方で青嵐会は「私的」参拝が気に入らない。三木は若手の右派と左派の両方に二股をかけて、それなりにうまくやっていたのが、両方を敵に回すハメに陥ってしまいました。大失態です。

 

 ただし、三木が「私的参拝」にこだわった裏には、内閣法制局がいます。靖国神社に参拝するにあたって、三木が「法制局に調べさせ」ていたことは秘書が回顧録で認めています(岩野美代治『三木武夫秘書回顧録』吉田書店、2017年、177頁)。

 

 法制局のロジックは次の通りです。

 

「私的参拝は個人の心の問題だから構わない。憲法第20条1項の信教の自由でもある。ただし公式に参拝すると、憲法20条が掲げる政教分離の原則に抵触する恐れがある。だから私的参拝としなさい」

 

 どこまでが私的でどこからが公的な参拝となるのか。その後、議場でも問題となります。

 

 後に社会党の野田哲が「公的行為と私的行為、総理大臣の場合にだれがどういう判断で決めるんですか」と聞いたのに対し、法制局の真田秀夫長官は以下のように答えます。

 

「これは原則としてまず私人としての宗教心のあらわれでございますので、特別な事由がない限り、これは私的な行為であるというのが素直な見方でございまして、特別に、たとえば国の公費をもって玉ぐし料を差し上げるとか、そういうような特別な外形的事情が伴わない限りはまず私的な行為であるというふうに言って差し支えないだろうと思います(後略)」
(昭和53年4月25日参議院内閣委員会)

 

 要は、外形的行為を伴うと20条3項に違反するが、そうでない限り私人としての参拝だから、それを禁止すると20条1項に抵触する。

 

 三木内閣の稲葉修法務大臣は改憲派として知られ、現職閣僚として改憲集会に出席したことを問題視された時は、三木が陳謝して大臣解任を回避しましたが、法制局にも守ってもらっています。

 

 憲法改正に言及しようものなら大臣の首が飛びかねない時代だったのです。そんな時代背景のなか、内閣法制局は自民党にとっては閣僚が靖国神社に参拝できるようにしてくれたありがたい存在なのです。

 

 ここで「それまでの大臣は靖国神社にふつうに参拝していたんじゃない?」などと正論を述べてはいけません。確かにその通りなのですが、当時それを言う人は誰もいませんでした。

 

 思想傾向関係なく、自民党の大臣級政治家は法制局の言うことを聞いておけばわが身は安泰だと、味方と思う。そして言いなりになるのです。

 

 ちなみに、三木は「公用車ではなく私用のタクシーで靖国へ行った」とのパフォーマンスをしました。福田内閣の時代に真田は「どうというようなことをそんなにあげつらう必要はないのだろう」(昭和53年8月16日衆議院内閣委員会)、「私的だというPRさえ事前にしておけばみんな私的になるというふうなことは、これはまたおかしな話であって、やっぱり公的か私的かということがまず先行します」(昭和53年8月17日参議院内閣委員会)と庇っているようで突き放している答弁をしています。

 

 三木首相の靖国参拝問題が飛び火して天皇陛下の靖国参拝の是非も問われることになり、昭和50年11月21日を最後に天皇陛下の御親拝は行われなくなりました。

 

 三木の「私的」参拝から4年後の大平内閣時代に天皇の靖国参拝について、社会党の山花貞夫(後の委員長)から「天皇が靖国神社に参拝することについても、公式参拝ではなくて私人ならばよろしいということになるのでしょうか」と質問を受け、真田は「陛下が靖国神社にお参りになるのは、もちろん私的な立場でお参りになっていることだと私たちは理解しております」とソツなく答えています(昭和54年4月20日衆議院内閣委員会)。

 

 首相も大臣も、そして天皇陛下も、内閣法制局長官が「私的に行くなら構わない」と言えば靖国神社に行けるのです。三木首相の8月15日「私的」参拝の前までは、そんなことはなかったのに。これが法制局のパワーなのです。

 

 

 以上、倉山満氏の新刊『検証 内閣法制局の近現代史』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本を支配する「謎の最強官庁」内閣法制局の実像に迫ります。

 

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( SmartFLASH )

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