社会・政治社会・政治

旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.07.28 20:00 最終更新日:2022.07.28 20:03

旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある」

前川喜平氏は文化庁宗務課長時代、旧統一教会の名称変更申請を一貫して受理してこなかった

 

 7月26日、日本共産党は「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の問題追及チームの2回目会合を開いた。「全国霊感商法対策弁護士連絡会」によると、確認できた金銭被害は昨年までの約35年間で総額1237億円、相談は3万4千件を超える。

 

 会合では、教団の被害に詳しい紀藤正樹弁護士がこのデータを紹介したうえで「被害の一部に過ぎず、最大の消費者被害になりうる」と指摘。「宗教の問題が絡むと行政も思考停止になり、ほとんど対応ができていない」と述べ、「社会問題として捉えるべきだ。国会として国政調査権を使って調べ、予防策につなげる必要がある」と強調した。

 

 

 旧統一教会による被害者がいまもあとをたたないのは、同団体の正式名称が2015年に「世界平和統一家庭連合」に変更されたことが大きいと指摘されている。

 

 1997年から名称変更の申請はおこなわれていたが、宗教法人を所管する文化庁宗務課はこれを受理してこなかった。ところが2015年8月、文化庁は突如、名称変更を認めた。当時、文化庁を外局とする文科省の大臣を務めていたのは、安倍晋三元首相の盟友・下村博文氏だ。

 

 この点で注目を集めるのが、文部科学省の事務次官だった前川喜平氏だ。

 

《1997年に僕が文化庁宗務課長だったとき、統一教会が名称変更を求めて来た。実体が変わらないのに、名称を変えることはできない、と言って断った》

 

 前川氏は、2020年12月に自身のTwitterでこうつぶやいている。改めて前川氏に話を聞いた。

 

「私が宗務課長になったのは1997年。前年の1996年に、オウム真理教事件の反省の上に、宗教法人法の改正がありました。それまで野放しだったものを、もう少し注意深く対応しようという姿勢に転じたのです。全国的に展開している宗教法人については、都道府県知事の管轄だったものを文部大臣の管轄に変更して、一定の書類を毎年、出してもらうことになりました。その直後に、私が宗務課長になったわけです。

 

 統一教会の名称変更の要請については、部下が私に報告をしてきたので、その段階で、『実体が変わっていないのに名称だけ変えるという規則変更はできない』という理由で、断ったんです。申請を受けて却下したのではなく、申請そのものを受理しませんでした。我々の気持ちとしては、『ここで認証してしまったら、文部省(当時)が社会的な非難を浴びる』という気持ちがありました。すでに1990年代に、統一教会の問題は知れ渡っていましたからね。

 

 もともと統一教会というのは、正体を隠して活動する性質があり、本体の名前を変えてしまうというのは、究極的な『正体隠し』になってしまう。当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会も、文化庁に名称変更を認めないでくれと要望していました」

 

 こうした前川氏の判断により、名称変更は長く認められてこなかった。それが2015年、突然、認められることとなる。前例を踏襲するのが慣例となっている官僚が、それを覆す判断をしたということは、そこに強い動機、つまり政治的な意図が働いたのだろう、と前川氏は感じた。

 

2012年、安倍内閣で文部科学大臣に就任し、会見に臨んだ下村博文氏(写真・JMPA)

 

「2015年のときは、宗務課長が私のところに事前に説明に来ているんです。私は当時、文部科学審議官。どの役所にも、国土交通審議官とか経済産業審議官とか、省の名前の付いた審議官がいるんですが、『省名審議官』は事務次官と同格か、あるいは事務次官に次ぐポストです。

 

 文部科学省では旧文部省出身者と旧科学技術庁出身者が、互い違いに事務次官になっていたわけですが、当時の事務次官は科学技術庁出身者。宗務課長が私のところに説明に来たということは、私が事実上の『文部事務次官』だったからです。

 

 宗務課長が説明に来たときに、私は『NO』と言いました。名称変更は認めるべきではない、と。ただ、裏には何か政治的な圧力があるとは思っていました。私は『NO』と言ったけど、結局、認証されてしまった。私よりも上には、事務次官と大臣しかいないわけです。私は、(認証された理由は)大臣の意向が働いたことは間違いないと思っています。当時の下村博文・文部科学大臣がゴーサインを出しているのは間違いない。これは確信しています。

 

 それに対して『NO』とは言ったけど、『認められません』と言って、辞表を叩きつけるまではやらなかった。私が認めないと言っても、結果は変わらなかったでしょうけどね。まあ、力不足というか……。抵抗しきれなかった悔いは残っていますよ」(前川氏)

 

 一方、当時、文部科学大臣だった下村氏は7月13日、自身のTwitterに、《文化庁に確認したところ》と前置きしたうえで《文化庁によれば『通常、名称変更については、書類が揃い、内容の確認が出来れば、事務的に承認を出す仕組みであり、大臣に伺いを立てることはしていない》《今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長であり、これは通常通りの手続きをしていた》などとつづった、7月11日付の書面を投稿した。

 

 ところが2015年当時、民主党参院議員だった有田芳生氏は、旧統一教会の名称変更について疑問を持ち、文化庁に問い合わせていた。そして《文化部長が「専決者」となっていますが、本件については大臣に事前に説明いたしました》という、文化庁の2015年9月30日付の回答を得ていたのだ。

 

 この事実と整合性を合わせるために、7月21日、あらためて名称変更について記者に問われた下村氏は、「文化庁の担当者から、そういう書類が来たということは事前に報告があった」と認めたうえで「(私は)まったく関わっていない」と、名称変更への関与を否定した。

 

 共産党の宮本徹衆院議員は、7月26日、文化庁から提出された名称変更した際の決裁文書を自身のTwitter上で公開した。

 

《「統一協会」の名称変更の決裁文書、文化庁から資料として提出がありましたが、なぜか、名称変更理由(規則変更理由〉は、墨塗り。ここは、墨塗りしてはならないと思います。隠さなければならない事情が書かれているのでしょうか。開示を求めます》

 

 さらに、宮本氏はこう疑問を呈している。

 

《統一協会が文化庁に提出した、名称変更の申請書。こちらも、名称変更の理由は、墨塗り。統一協会の申請は6月2日、承認の決裁手続きがはじまるのが8月18日、決裁日が8月26日。申請前、あるいは申請から決裁までの間に政治家からどういう働きかけ、リアクションがあったのか》

 

 自身の悔いとともに、名称変更に至った経緯を語ってくれた前川氏。下村氏にも、当時の大臣として説明する責任があるのではないか。

 

( SmartFLASH )

今、あなたにおすすめの記事

社会・政治一覧をもっと見る