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東国原英夫、宮崎県知事選出馬で思い起こす13年前の唖然発言「私を自民党総裁に」

社会・政治 投稿日:2022.08.15 19:35FLASH編集部

東国原英夫、宮崎県知事選出馬で思い起こす13年前の唖然発言「私を自民党総裁に」

 

 タレント東国原英夫が、8月17日に宮崎市内で会見を開き、宮崎県知事選(12月8日告示、25日投開票)への出馬を表明するという。

 

 東国原は宮崎県都城市出身。2007年1月の宮崎県知事選挙に立候補して当選、2011年1月の任期満了まで県知事を務めた。

 

 その後、2011年4月の東京都知事選に立候補するも、石原慎太郎氏に敗れ落選。2012年12月の衆院選では、日本維新の会から出馬して当選したが、2013年12月に離党し、議員辞職している。

 

 

 東国原は8月15日には自身のTwitterを更新。《「無謀な戦い」と言うより非常に「厳しい戦い」。しかし、厳しいからと言って、沈黙していて良いのか。最後、人生を賭ける》と、決意を明らかにした。

 

「宮崎県知事選には、現職で4選を目指す河野俊嗣氏も出馬を表明しています。共産党からも立候補者が出る予定ですが、現職と東国原氏の事実上の “一騎打ち” と見られます」(政治部記者)

 

 東国原は県知事時代、流行語大賞にもなった『どげんかせんといかん』を合言葉に宮崎県を積極的にPR、大成功を収めた。だが、1期のみの退任に不満の声も大きかった。

 

「2010年に宮崎県を直撃した口蹄疫の流行では、県の対応のマズさが指摘され、東国原知事も批判にさらされました。そういったゴタゴタのなかで退任し、直後に都知事選に出たわけですから、『宮崎を捨てた』と思った人が多くいたのも当然です」(同)

 

 しかし、なんといっても印象が強いのは、2009年の衆院選出馬騒動だろう。当時、麻生政権の支持率が急落。自民党は政権交代の危機に陥っていた。そんななか、自民党選挙対策委員長だった古賀誠氏が東国原のもとを訪れ、次期総選挙への出馬を要請したのだ。

 

 その際、東国原が出馬の条件として出したのが、「私を自民党の次期総裁候補として選挙を戦う覚悟はありますか」だった。

 

「あの発言は衝撃でした。政治家としては県知事を2年半ほどやっただけで、自民党総裁のイスを要求したのですから。誰もが『何様なんだ』と思ったはずです。

 

 しかも、1期めの途中で国政に移ると言ったわけで、彼にとって県知事とは、国政への踏み台くらいにしか思っていないことがはっきりしたわけです」(同)

 

 実際、出馬を明らかにした東国原に対し、SNSでは厳しい言葉が並んでいる。

 

《宮崎が口蹄疫で大変な時にいなくなったのは未だに根に持ってるよ どげんかせんといかん!ってセリフだけでなにもしてなくね?》

 

《東国原は国政に行きたくて宮崎県知事を投げ出した印象だけどまた復帰したいはありえんでしょう》

 

《正直コロナ禍の今、知事として求められるのは芸能人じゃなくて官僚出身の現職だと思う》

 

 出馬は自由。決めるのは県民だ。

 

( SmartFLASH )

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