社会・政治
菊間千乃弁護士 旧統一教会の「解散は極論」発言に理解を示す元信者「一時の気分で宗教団体をつぶす」危うさ
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.09.10 06:00 最終更新日:2022.09.21 19:08
「『宗教団体を解散すればいい』っていうのは、ちょっと極端かなという気がする」
元フジテレビアナウンサーで、弁護士の菊間千乃(ゆきの)氏は、自身がコメンテーターを務める9月6日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)で、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題に関し、こう述べた。
番組で話題になっていたのは、河野太郎消費者相が9月4日の『日曜報道 THE PRIME』(フジテレビ系)で述べた「解散命令まで消費者庁が関わったり、解散命令まで踏み込めと、文部科学省に働きかけたりすることになるかもしれない」という発言。
高額献金や政治との癒着が社会問題化した旧統一教会をめぐっては、河野氏のように「解散」を主張する論者も多いが、世論がその方向へ流れることに対し、菊間氏は「あまり考えないで、感情だけで進んでいってしまうような懸念はあります」と待ったをかけ、「何でもかんでも改正していけばいいっていうのは極論」と、異を唱えた。
同時に菊間氏は「反社会的な行為は認められません、ということで、『行為』を処罰していく考え方がある」と代替案を示した。
社会規範を逸脱する教団に対して「活動をやめるべき」といった声が生じるなか、「即解散とするには法的な準備も根拠もまだ不十分に思える」といった意見もある。
旧統一教会の元信者で、金沢大学教授の仲正昌樹氏が語る。
「菊間さんの指摘どおりだと思います。とにかく『解散』という言葉が独り歩きし、誤解もされています。
まず『解散』は、一般的な意味と法律的な意味とが異なります。たとえばネット世論が典型ですが、そこでの『解散』は、大雑把にいえば旧統一教会をつぶし、日本から追い出すことを意味します。しかしそれは不可能です。
解散するかどうかは、本人たちが決めることであり、彼らが自主的におこなっている信仰や礼拝をやめさせることは憲法上、できません。他人が組織としての活動を阻止できるのは、破壊活動防止法だけです。その適用が検討されたオウム真理教でさえ、後継団体が活動を続けています。そして、旧統一教会はテロなどをおこなってきたわけではないので、同法は適用されません。
そして法律的な意味での『解散』は、宗教法人格のはく奪を意味します。ただ、それにより宗教法人でなくなったとしても、宗教活動は可能です。世間では、宗教法人格を奪ったら活動ができなくなると思っている人がいますが、そういうことはありません。法律家も『解散』という言葉をしばしば口にしますが、あくまで宗教法人格を奪うという意味で使っています。法律で宗教活動をやめさせることはできません」
「税制優遇をなくすためには、法律上の解散、すなわち宗教法人格の取り消しをすぐにおこなうべきではないのか」という主張に対しては、こう語る。
「現行法では、そのための明確な基準がありません。たとえば、旧統一教会は反社会的団体だからという指摘がなされますが、現状、そう扱われるのは暴力団しかない。
今の法律では、どんなに悪い宗教団体だったとしても暴力団とは異なりますから、別のカテゴリーを作らなければなりません。『悪質な宗教団体』というカテゴリーが、今はないのです。どういう団体がそれに当てはまるのか、何をやったら宗教団体としての活動ができなくなるのか、という明確な基準を定めないといけない。
宗教法人格の取り消しは、明確な基準を作った上でおこなわなければいけません。法律家なら、そのように言うはずです」
宗教法人法には、「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」および「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」をした場合に、解散命令が出せると定められているが……。
「抽象的な条文で、どんな行為がそれに当てはまるのかが分かりません。公共の福祉に反するというのも曖昧で、それこそ、左翼系の市民団体も公共の福祉に反するということで処分できるかもしれません。
『こんな行為が宗教団体として悪質だ』という定義がない今の法律では、解散命令を出すのは難しいでしょう」
そのため、法律を改正しようという声が上がっている。
「宗教法人格のはく奪に値する、明確な基準を定めることが困難であるのは間違いありません。曖昧な基準を作れば、いろいろなものに適用できるようになってしまうからです。
私は、解散にこだわりすぎてはいけないと思います。仮に今すぐ解散させれば、被害者たちが訴訟で主張する金額を、はたして獲得できるのかという問題が出てきます。渋谷にある本部の建物を売却させれば、気持ちはいいかもしれませんが、それ以上のことはできなくなります。宗教法人でなくなったところで、地下で同じ活動を始めたら、もはや追及は難しくなります。逃げ道はいくらでもあるのです。宗教法人としてお金を集めず、個人として韓鶴子総裁に献金するということもあり得ます。
それよりも、どういう法律を作れば悪質な行為をやめさせられるかを考えるべきです。客観的に悪質な宗教活動を定め、それに違反したら、まずはペナルティを科して改善を促す。その結果、活動が続かなくなって自然と消滅すれば、それでいいわけですから。
とにかく、焦らずに基準を作り、今まで問題とされてきたことをできないようにしていく。それを地道にやらないで、一時の気分で宗教団体をつぶす、という方向へ流れると、むしろ言論・思想弾圧がどんどん可能になってしまいます]
では、教団の悪質な行為を取り締まるためにどんな法律が必要か。
「発想としては、たとえばDVに介入するときと同じような形がいいと考えています。本来は家族のなかの問題ですが、明らかに暴力が行き過ぎたら、家族に介入する。それと同じように、本来は教団内部の問題だけど、こういうことが起こった場合は当局が介入する、という法律ならできそうな気がします。
また、しばしば『マインドコントロール』がやり玉に上がりますが、この言葉は危ういものです。実際に問題とされるのは、不安を煽って献金させたり布教させたりする行為ですが、マインドコントロールが定義を曖昧にしたまま使われると、いろいろな団体に適用されてしまう危険があります。たとえば、企業を『マインドコントロールをおこなっているブラック企業』として、当局が介入してしまうかもしれません。そのためにも、明確な定義に基づく法律が必要です。
また、元信者として私が危惧しているのは、進学や就職で2世や元信者が差別を受けるのではないかということです。このまま、旧統一教会に対する世間の嫌悪が強くなった結果、たとえば就職で宗教を調べられ、差別されないかどうか。法改正も慎重にやらなければ、若者の進路を閉ざすことになりかねなません。それはもはや、宗教迫害でしかありません。もちろん被害者救済は早急に進めるべきですが、教団をめぐる法改正の議論や、マスコミの報道は公正になされるべきです」
責められるべきは教団であって、信者やその家族ではない。彼らがその後の人生で差別に苦しむことを防ぐためにも、私たちは正しい認識をもたなければならない。
( SmartFLASH )