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馳浩知事「二度とリングに上がらないで」の要望に「私は死ぬまでプロレスラー」試合中に心肺停止に陥った過去も

社会・政治 投稿日:2023.02.25 19:16FLASH編集部

馳浩知事「二度とリングに上がらないで」の要望に「私は死ぬまでプロレスラー」試合中に心肺停止に陥った過去も

高見恭子夫人(左)とともに「桜を見る会」に出席した馳浩氏

 

 2023年の元日、日本武道館でおこなわれたプロレスの大会に、現職の知事として初めてサプライズ参戦し、物議を醸した馳浩石川県知事。休暇中の参戦だったとはいえ、県民からは賛否両論が巻き起こった。

 

 当の馳氏は、1月4日の年頭記者会見で、プロレス出場に関する記者の質問に対して「休暇中のことでありますので、とくに申し上げることはありません」とコメント。有事の際に対応できる体制も取っていたとし、現役なのか、引退なのかを問われた際には、

 

 

「私は死ぬまでプロレスラーです。現在は、私自身の健康と、それから日時の許す限りの範囲内で、リングに上がっております。私は死ぬまでプロレスラーであります」

 

と、“生涯現役”を宣言していた。

 

 あれから約2カ月――。2月24日の石川県議会代表質問で、再び元日の知事のプロレス参戦が議題に上がった。自民党県連幹事長の作野広昭県議は馳氏に対して「二度とリングに上がらないでほしい」と要望。その理由として、作野県議は「命にかかわる重大なことが起きる可能性は否定できず、そうなれば県政の停滞を招くことは必至だ」と訴えた。

 

 馳氏は「ご指摘を真摯に受け止め、適切に対処してまいります」と述べたが、一方で、その後の会見では、「私は死ぬまでプロレスラーであります。拳拳服膺(けんけんふくよう)してもらえればと思います」と、プロレス入りする前は、高校で国語科教員をつとめたこともある馳氏らしい言い回しで、再度、生涯プロレスラーであることを強調した。

 

 しかし、作野県議の「命にかかわる重大なことが起きる可能性は否定できない」という発言は、決して大げさな表現ではない。馳氏は、新日本プロレスの選手時代、試合中に心肺停止状態に陥り、生死の境をさまよった経験があるからだ。

 

 事件が起きたのは1990年6月のこと。バックドロップの使い手して知られた後藤達俊とのシングルマッチに臨んだ馳氏は、試合中に後藤が繰り出したバックドロップの受け身を取り損ね、左のこめかみからリングに落下。意識朦朧のまま試合に敗れた馳氏は自力でリングを降りたが、次の試合のセコンドにつくために再びリングに向かう途中で昏倒してしまう。

 

 全身のけいれんから硬直が始まり、口から泡を吹いた状態で控室に運ばれた馳氏の元へ、当時のリングドクターだった富家孝医師が駆けつけると、馳氏の心臓はすでに止まっており、瞳孔も開いていたという。以下、当時のことについてふれた「朝日新聞DIGITAL」の記事から、一部を引用する。

 

《長州力ら数人の選手も駆けつけ、「死ぬな!」という声が室内に響き渡った。応急処置の結果、馳は数分後に呼吸が戻り、そのまま病院に搬送された。だが、富家さんは内心「もう助からない」と思っていた。》

 

 リングドクターから見ても「もう助からない」と思わせるほど危険な状態だった馳氏だったが、ドクターの人工呼吸と警察官の心臓マッサージで、1分後になんとか蘇生。馳氏自身は、その間に幽体離脱して倒れている自身の姿を見るなど、いわゆる臨死体験をしていたという。

 

 翌日には意識を取り戻し、最悪の事態は免れた馳氏だったが、1週間の入院と2カ月間の試合欠場を余儀なくされたほか、夜、眠れないほどの偏頭痛を起こすといった後遺症が残ったという。

 

「私は死ぬまでプロレスラーであります」と語った馳氏。プロレスラーである自分に誇りを持っているのは結構なことだが、「肝に銘じて常に忘れないようにすること」という「拳拳服膺」の意味からすると、かつての大事故のことも決して忘れないでいただきたい。

( SmartFLASH )

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