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民進党の代表辞任「蓮舫」が語っていた「初体験のタイミング」

社会・政治 投稿日:2017.07.28 11:00FLASH編集部

民進党の代表辞任「蓮舫」が語っていた「初体験のタイミング」

 

「民進党の代表を引く決断をしました。一議員に戻ります」
 2017年7月27日、蓮舫参議院議員(49)が、民進党代表の辞任を表明した。2016年9月の代表就任から一年もたたず、短期政権に終わった。

 

 会見で蓮舫は、終始顔が引きつっており、感情を抑え込んでいるようにもうかがえた。

 

 辞任に関しては、「『攻め』と『受け』。私は『受け』の部分で力を十分に出せなかった。求心力ではなく、遠心力を働かせてしまった。いったん引いて、民進党を新たな執行部に率いてもらう。これが最善の策だ」と述べた。

 

 今回の辞任劇は、2016年から追及が始まった二重国籍問題が主な原因かと思われたが、「国籍に関しては今回の判断に入っていない。まったく別次元の問題」とし、さらに、7月の都議選の惨敗も直接的な原因ではないと話した。

 

 2010年、民主党政権時代の事業仕分けで名をあげた蓮舫の経歴はなかなか興味深い。ニュースキャスターから政治家への華麗な転身は、大先輩の小池百合子東京都知事と同じだが、実は、蓮舫は1988年度のクラリオンガール出身。岡本夏生や爆笑問題の太田光の妻・太田光代とテレビで共演していたこともある。

 

 1990年から2年間『スーパーJOKEY』でビートたけしのアシスタントも務めている。後にたけしは事業仕分けで有名になった蓮舫に対して「当時、蓮舫はオレと一緒に熱湯風呂に水着着て入ってたのに、何言ってんだ! スーツに襟立てて、スナックのママみたいな格好して」と物申している。

 

『JUNON』1990年1月号のインタビューでは、「初体験の適齢期はあると思いますよ。具体的には高校・大学など学生の時がいいと思う」と際どい発言もしている。肝心の本人の初体験については、議員になった後に、テリー伊藤に突っ込まれているが、「いつだっけなあ、ハハハ、覚えてない」と、政治家らしく、記憶にございませんスタイルでかわしている。

 

 デビューしてまもなくテレビで週7本のレギュラーを務めるなど多忙だったが、毎朝1時間かけて新聞を読み、1カ月に30冊の雑誌に目を通していたという。その理由を「ぶっつけ本番は自分がもろに出てしまう。ふだんから充電していなければ」と1990年に朝日新聞のインタビューで答えている。
 

 1993年にはテレビ朝日のニュース番組『ステーションEYE』のキャスターに起用された。ここからジャーナリストとしての活動を重ね、結婚、中国留学、出産をへて2004年に参議院議員に初当選し、政界の道へ。

 

 政治家としての影響力が強くなったいま、キャンギャル時代は彼女の黒歴史とも言えなくもない。

 

 事実、かつて本誌のインタビューでは「正直、水着写真は出さないでいただきたい」と答えている。事業仕分けで辣腕を振るった彼女だけあって、自らの過去の仕分けも抜かりない。

 

 ちなみに蓮舫の公式HPのプロフィールには、水着ではない「クラリオンガール」の写真が使われている。芸能界デビューの恩は忘れてはいないようだ。

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