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G7広島サミット大成功で解散風強まるも「サミット後選挙」自民は2勝2敗 2敗はともに「宏池会出身首相」の過去

社会・政治 投稿日:2023.05.21 18:55FLASH編集部

G7広島サミット大成功で解散風強まるも「サミット後選挙」自民は2勝2敗 2敗はともに「宏池会出身首相」の過去

G7広島サミットで原爆ドームをバックに議長国会見をおこなった岸田文雄首相(写真・代表撮影/ロイター/アフロ)

 

 5月21日、3日間にわたって開催された主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)は幕を閉じた。19日にはG7首脳らが、21日には、拡大会合に出席した核兵器保有国のインドなど、8カ国の首脳らが平和記念公園を訪問。原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花した。

 

 緊急訪日したウクライナゼレンスキー大統領も討議に加わった。議長をつとめた岸田文雄首相は、記者会見で「G7とウクライナの揺るぎない連帯を示せた」と強調した。

 

 

 5月20、21の両日、毎日新聞が実施した全国世論調査では、岸田内閣の支持率は45%で、前回調査から9ポイント上昇。G7広島サミットについて、各国首脳が平和記念公園を訪れたことを「評価する」が85%を占めた。

 

 岸田首相への追い風が吹き、サミット後の衆院解散・総選挙の観測が強まっている。6月21日の通常国会会期末に解散、最短で7月9日、あるいは7月23日投開票という日程が有力だ。

 

 岸田首相は5月17日、東京都内のホテルで開いた岸田派(宏池会)の政治資金パーティで、同派出身の大平正芳、宮沢喜一両元首相も、日本開催のサミットで議長をつとめたことにふれ「宏池会出身の首相として宿命を感じられずにいられない」と述べていた。

 

 1979年、日本が初めて開催国となった東京サミットは、6月28~29日の2日間。大平正芳首相(当時・以下同)はサミット後の9月7日、衆院解散に踏み切った。

 

 首相就任後初となる総選挙で、大平首相は一般消費税導入を掲げたものの、党内外から反発を受け、選挙中に導入を断念。10月7日に投票された結果は、自民党が過半数に届かない248議席で惨敗した。

 

 1993年の東京サミットは、7月7~9日の3日間で予定されていたが、宮沢喜一首相は、内閣不信任決議が可決されたことを受け、サミット直前の6月18日に解散。サミット直後の7月18日に投票された結果、自民党は223議席で過半数を割り込んだ。非自民8党派による連立政権(細川護熙内閣)が発足し、自民党は初めて下野することとなった。

 

 一方、サミット後に解散し、大勝したのが1986年の中曽根康弘首相だ。

 

 5月4~6日の3日間の日程で開催された東京サミット後、衆参同日選の観測も飛び交うなか、中曽根首相は解散を可能にする「会期延長も臨時国会も考えていない」と断言。だが、6月2日に突如、解散に踏み切り、衆参同日選に持ち込んだ自民党は衆院で300議席を獲得する圧勝となった。中曽根首相は同日選勝利に功績があったとして、党規約が改正され、総裁任期が1年延長された。

 

 2016年5月26~27日に開催された伊勢志摩サミット後、安倍晋三首相は衆参同日選の観測もあったが、同年4月の熊本地震復興を優先し、衆参同日選は見送った。7月10日に投票された参院選では、自民党は改選前から6議席上積みとなる56議席を獲得し、大勝。自公両党やおおさか維新の会に加え、無所属議員などを含めた「改憲に前向きな勢力」は、憲法改正発議に必要となる全議席の3分の2を超えた。

 

 日本でのサミット後、大型の国政選挙で自民党は2勝2敗。サミットの追い風のなか、宏池会出身首相として岸田首相は2敗の過去をどう受け止めているのだろうか。

( SmartFLASH )

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