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「悪ノリ忘年会」で更迭の岸田翔太郎氏を「首相秘書官の先輩」議員が一刀両断「箔づけ人事の最たるもの」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.06.08 17:30 最終更新日:2023.06.08 23:19
神奈川8区(横浜市青葉区・緑区)選出の江田憲司衆議院議員が1996年、通商産業省(現・経済産業省)の官僚時代、当時の橋本龍太郎首相に請われて首相秘書官(政務担当)に起用され、行財政改革推進の旗振り役を務めたことはつとに知られている。このたびの岸田翔太郎元首相秘書官による首相公邸の私物化を、江田氏は先輩として「言語道断」と憤る。
江田氏と歴代内閣との関係は、首相秘書官着任以前にさかのぼる。1979年に通産省入りした江田氏は、大臣官房総務課、生活産業局、資源エネルギー庁などに勤務。1987年から1年間、米ハーバード大学国際問題研究所に留学した後、1990年からは首相官邸に出向し、海部俊樹内閣および宮澤喜一内閣のもとで内閣副参事官を務め、首相演説や国会対策を担当した。そして、1992年には通産省に復帰し、産業政策局総務課長補佐、経済協力室長を経て、1994年の村山富市内閣時に橋本通産相の事務秘書官を務めた後、首相政務秘書官に任命された。それまでの政治の歴史にない異例の抜擢だった。
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「首相秘書官は、古手の議員秘書の最終到達点。長年、夢見るポストでもありました。小泉純一郎内閣を通じ、その任にあった飯島勲氏などは典型です。やがて、通産省での後輩だった今井尚哉氏や嶋田隆氏が私の後に続きましたが、当時はあくまで官僚は、事務秘書官として出向するだけで、いずれは出身官庁に戻り、そこで出世街道を歩みます。その意味で、官邸で退職した私はレアケースでした。
また、政務秘書官を2人置くのは、岸田政権になってからで、異例中の異例のこと。だから、翔太郎氏というより、父の岸田首相のほうに問題があるわけです」
首相秘書官は通常、政務担当1名と事務担当6名の計7名で構成される。事務担当は、各省庁がエース級の人材を派遣し、岸田内閣の場合、財務(2人)・外務・経産・防衛・警察の各省庁からの出向だ。一方、政務秘書官には、古参秘書のほか、在野の人間が抜擢されることもあり、首相と関係が深い「番記者」などのジャーナリストが、ブレーンとして登用される例もあった。にもかかわらず、岸田首相は、例外的にまだ年端のいかない長男を、2人めの政務秘書官として起用した。
「政務秘書官は首席秘書官と称されるように、いずれにせよ、それなりの知識、経験、人脈や交渉力を持っている人物が登用されます。だから、翔太郎氏の件は『身びいき・箔づけ人事』の最たる例でしょう。経産省で事務次官まで上り詰めた嶋田隆氏が、筆頭の政務秘書官でいる以上、秘書官室で翔太郎氏の居場所はなく、ろくな仕事もなかったでしょう。だから緊張感もなく、心構えも備わらず、外遊先で観光したり、公邸での忘年会で羽目を外したりしてしまったのだと思います」
翔太郎氏は慶大法学部卒業後、2014年に三井物産に入社し、2020年3月には、1人の議員に3人まで認められる公設秘書として、父である文雄氏の事務所に入った。長男を首相秘書官に任命した理由を、首相は国会でこう語った。
「今回の人事に当たっては、休日・深夜を問わず発生する危機管理の迅速かつきめ細かい報告体制、党との緊密な連携、ネット情報、SNS発信への対応など、諸要素を勘案し、秘書官チームの即応力の観点から、総合的に判断した次第であります」
江田氏が「身びいき」「箔づけ」と言うのは、自身に30年仕えた筆頭秘書の山本高義前首相秘書官を辞任させてまで、首相が長男を起用した背景があるからだ。
「首相は、官邸では孤独で激務に追われます。気心の知れた身内をそばに置きたい、という気持ちはわからないではないですが、それなら、議員の公設秘書のままで置けばいい。わざわざ、そのために国家公務員として、高額の給与(特別職第12号俸として月58万6200円)を支払うんでは、税金の使い方として、国民が納得しないでしょう。自民党にはまだ世襲にこだわる政治家が多く、後継者の息子を大臣秘書官に任じ、箔をつけさせるのはパターンになっていますが、子女に適性があるかどうか、よく見極める必要があるのは言うまでもありません」
大臣秘書官にも政務と事務担当の2人の秘書官がいて、前者は大臣が指名、後者は各省庁が任命する。政務秘書官の仕事も付け焼き刃ではこなせない。選挙区からの情報窓口となり、陳情などに対応し、党内の意見調整、官僚や野党との交渉もセッティングする。最近では、岸信夫前防衛相の秘書官を、長男の信千世氏が務めたケースが知られる。
首相公邸で催された岸田家の忘年会については、「仕事を離れれば私邸」といった擁護の声も出ている。しかし、「スペースごとの公私の使い分けが必要」と江田氏は指摘する。
「首相官邸の役割は、総理らの執務や会議、海外からの賓客の接遇だけではありません。地階には24時間体制の危機管理センターが設けられ、大災害や北朝鮮のミサイル発射等の際に迅速に駆けつけるため、多額の税金をかけて旧官邸を公邸にして、隣接させたわけです。すなわち、公邸は『危機管理官舎』であり、そこに居住空間もある、と見なしたほうが自然。ましてや、翔太郎氏らが“組閣ごっこ”をした階段や“会見ごっこ”をした部屋は、明らかに公的スペースで、完全にアウトでしょう」
2度の不祥事を起こし、翔太郎氏は6月1日付をもって公邸を去った。今後の去就も気になるところだが、「しばらくはどうあれ、謹慎でしょう」と江田氏。
忘年会を主催したのは首相自身の可能性も指摘され、私的なスペースでの記念撮影までリークされた。危機管理能力能力の甘さが露呈した形の首相だが、いざというとき、国家や国民を危機から守れるのだろうか。
取材・文/鈴木隆祐
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