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ヒグマに「死んだふり」は有効なのか…心臓むしられ頭部めちゃめちゃでも生還事例あり

社会・政治 投稿日:2023.06.24 06:00FLASH編集部

ヒグマに「死んだふり」は有効なのか…心臓むしられ頭部めちゃめちゃでも生還事例あり

どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい

 

ヒグマにあったら死んだマネをすると助かる」という俗説は広く信じられているが、これは「クマは動かないものは襲わない」という、これまた俗説によるもので、専門家によれば確率は五分五分であるという。

 

《熊にあったら、死んだ真似をして助かったことが多いということだけは確かであるが、アイヌの例などから察して、死んでいるということが理由ではなくて、実はこの人間は熊に抵抗するおそれがないということを熊が知ったからである。(中略)人間の方が無抵抗で死んだふりをしてしまえば、一応の検査を受けても、食われないということになる。

 

 

 ところが北海道のヒグマのうちには一般原則にあてはまらないのがあるから困る。たけのことりに山に入って食われたり、山ブドウ取りに出て帰れなかった人があるし、真昼中に通行中の若者をさらって行った熊もあり、家の壁を押し破って侵入して家人を襲ったこともあって、世界中で一番兇悪な熊と見なければならない》(北海道林務部広報誌『林』1953年7月号所収、犬飼哲夫「ー熊ー死んだ真似で助かるか」)

 

 いったいどっちなんだとツッコミを入れたいところだが、実際に「死んだふり」で助かった事例は数多い。その一方で、けっこうなケガを負わされることも多いようだ。

 

 古い事例では明治の初め頃に、次のような事件があった。

 

 亀田郡七飯村の某が、単身で舞茸採りに出かけ、たまたま大きな舞茸を見つけて、天からの贈り物と喜んで思わず声を発したところ、生い茂る木立から大牛に等しい猛熊がこちらを目がけて進んできた。

 

 その勢いの恐ろしさは《胆魂魄も天外に飛去り逃ぐる暇もあらざりし》という有様であった。某はかねて聞いていたとおり、死ぬも生きるも天の運と度胸を据えて、自らそこへ打ち倒れて息を殺し「死したる体」を見せかけた。

 

 やがて熊がそばに近づき、某の体をしきりに打ち叩き、爪をもって散々に傷つけた後、手を口に当てて呼吸の有無をうかがい、本当に死んだと思ったのか、その場を立ち去った。

 

 某は九死に一生を得て、山を下る途中、知り合いに出会ったので病院に運ばれた。その傷は27カ所もあったが、幸い命に別状はなかったという。(『函館新聞』明治14年10月10日)

 

 またこんな話もある。

 

 夕張炭鉱の坑夫・中村理吉は、炭層調査のため8名の人夫とともに測量に山に入ったが離れ離れになってしまい、1人山深く分け入るうちに、突如前途に巨熊が立ちふさがった。《咆哮一声、山彦に答えて凄まじさ云わん方なき》という状況になり、理吉は大地に伏せた。

 

 飛びかかってきた熊は、後頭部に噛みついたが、痛みをこらえて仮死の状態を装うこと《多時》におよんだ後、静かに頭をもたげてみると、熊はなおも去らずにいた。

 

 熊は手をあげてさらに頭部を掻きむしり、唐紅に染まって倒れた姿を見て悠々と立ち去った。全治3週間の大ケガであったという(『北海タイムス』明治41年9月3日)

 

 次は死んだふりをした兄弟がかろうじて助かったという事例である。

 

 定山渓・滝の沢の工藤正勝(14)が兄(18)と裏山で遊んでいると、ガサガサ物音がするのでなんであろうと振り向くと、小熊2頭に続いて親熊が突如として現れた。

 

 兄は正勝に「うつぶせになれ」と命じ、自分は大木の根に首を突っ込んだが、熊はノコノコとうつぶせの正勝のところへ来て、右手で頭や背中や耳を掻きむしり、正勝は数十カ所に傷を負って気絶してしまった。

 

 熊は今度は兄のほうに来て、足をつかみ大木の根から引きずり出して仰向けにして大きな舌で顔面をベロリベロリと舐めたが、兄は知らぬ顔をしていたので命拾いをした。(『北海タイムス』大正14年4月17日)

 

 どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい。

 

 以下は林業専門誌『札幌林友』に掲載された記事で、著者の藤井氏が昭和15年(1940年)頃に、体験者本人(K氏)から聞いた話である。

 

《熊の出た山はベンケイベツと青山との中間で、K氏はある年の夏、伐木に従事していたが、(中略)宿舎より谷間の現場へ山道を辿り降りることになったが、途中でバッタリ巨熊に出会った。K氏は5間と離れていないので、最早進退これ窮り、早速、小学校で教わったとおり、うつ伏せになり死んだ真似をした。

 

 熊は怖る怖る側にかけ寄り、Kさんの頭の上から足の爪先までクンクン匂をかいだ挙句、何を思ったか腰のあたりを叩いて見た。それでも動かずにいると、今度は前足でK氏を仰向けに返し、またまた足の爪先から頭の毛先までクンクン反復した。

 

 K氏が述懐するには、鼻のあたりをかがれたときには息ができないので苦しくて仕方なかったとのこと、やがて熊はイキが悪いとでも思ったのか、死んでるものに用事はないとさとったか、前足で一方の崖縁へK氏を蹴飛ばした。

 

 そこで4間ほど離れた大木に頭を激突しK氏は気絶した。数十分後に尋ねてきた同僚に発見され、実に危ういところで命びろいをしたというスリルである》(『札幌林友』昭和35年4月号所収、藤井義雄「北海道のひぐま」)

 

 この程度なら笑い話で済むかもしれないが、もっとひどいケガをした事例もある。

 

 余市郡仁木村の農業、石原幸三郎(31)は、仲間2人と付近の山林に熊狩りに出かけたが獲物がないので、ぶどう畑でぶどうを食べていたところ、同人のそば7〜8尺離れた熊笹のなかに一頭の大熊を認めた。

 

 ただちに銃をとろうとしたが時すでに遅く、熊は猛然として飛びかかり頭部を咬み、全身を掻きむしった。幸三郎は死んだふうを装ったが、熊はさらに一打撃を加えて立ち去った。

 

 しばらくして同行の2人が血まみれとなって気絶している幸三郎を発見して病院に担ぎ込んだが、《すこぶる重態にて心臓をむしられ頭部はほとんど滅茶滅茶に引っ掻かれ左眼外方および右手前膊部、右大腿骨部等いずれも骨折し居り惨状二目と見られざる容態》であったという。(『小樽新聞』大正6年10月7日)

 

 次の事例も命は助かったものの重い傷害を負ってしまった男性の話である。

 

《川端に長畠さんという店があり、そこの女婿が熊に手ひどくやられました。その熊は角田の二岐から父等に追われて、(夕張の)紅葉山へ逃げ込んだというので、好奇心にかられて友人と二人でボロ鉄砲一挺持って見に行った。

 

 すると林道の入口で、向こうから追われた熊がとんで来るではないか。友人はすぐ木に登ったそうです。私は逃げ遅れて死んだまねをしていたが、“熊は死んだものは襲わない” と教えられていたのは嘘でした。

 

 熊は私の上に腰を下ろして長い爪で尻べたにズブリと刺しました。痛いのでビクッと動くとウワッと唸って咬みつきました。ひっくり返すやら手玉に取ったり、まるで熊のおもちゃでした。

 

 追っ手の人が来て仕止めてくれましたが、片目、片手、片足になりました。それでも猟師の人達が熊をなげおいて、病院に運んでくれたので助かりました(吉本国男)》(『東三川百年史』平成7年)

 

 最後に香水のお陰で助かったという事例を紹介しよう。

 

《旭川の私の友達の奥さんですが、若い娘さんを連れて勇駒別からはいったところ、クマが現われたわけです。若い人達は逃げたそうですが、その奥さんはつまづいてたおれ、失心に近いようになったそうです。

 

 おぼえていることは、クマが奥さんの頭のところに顔をやって、嫌な顔をしていってしまったというんです。きっと香水の匂いが嫌だったのでしょう、山にいくときは香水をたくさんつけていくと良いと、その奥さんが笑ってましたが(笑)》(北海道林務部広報誌『林』1968年5月号所収、斎藤春雄「てい談ヒグマ」)

 

中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

( SmartFLASH )

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