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エコロジーもロックも反差別も…そして「自由」も “始まり” は1968年だった

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.08.26 11:00 最終更新日:2023.08.26 11:00

エコロジーもロックも反差別も…そして「自由」も “始まり” は1968年だった

1963年8月28日の演説(写真:Science Source/アフロ)

 

 自由との闘いをしてきた人たちのことを振り返ってみると、その転換点になったのが、「集団的自由運動」と「個人的自由」というものが議論された1968年です。この年はキング牧師が暗殺された年でもあります。

 

 キング牧師こと、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年〜1968年)は、アメリカのジョージア州アトランタにある教会の牧師でした。

 

 当時のアメリカは、リンカーンの奴隷解放宣言により奴隷制度は廃止されていましたが、人種差別は色濃く残っていました。

 

 

 南部の多くの州ではジム・クロウ法と呼ばれる法律に基づき、学校や公共施設のトイレ、水飲み場、バスなどの公共交通においても、白人用と非白人用に区別して使用されていました。トイレにも水飲み場にも「White」「Colored」と書いてあるんですね。バスに乗るときは、黒人は白人に席を譲らなければならなくて、譲らないと逮捕されてしまう。

 

 キング牧師はこうした状況に非暴力で反対を示そうと、黒人にバスの乗車をボイコットする運動を呼びかけました。これがモンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年)です。

 

 呼びかけた翌日、アメリカ中がその行方を見守っていました。朝、いつもなら黒人で満員のバスが通るのですが、朝一番のバスには、誰も乗っていなかった。2番目のバス、3番目のバスにも黒人は乗っていませんでした。

 

 そして、多くの黒人たちが晴れ晴れとした顔で大通りを歩き、街を謳歌していました。この成功は全米に伝えられて、アメリカ中に運動が広がっていきます。

 

 キング牧師は確かな手応えを感じていました。しかし、黒人迫害をする白人の秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)によって、キング牧師の自宅は破壊されてしまうんです。これに怒った群衆は白人への復讐を叫びますが、興奮する群衆にキング牧師はこう呼びかけています。

 

「我々はたとえ暴力を受けても決して暴力で報復はしないのです」

 

 こうして、約1年にわたってボイコット運動を続けた結果、連邦最高裁判所はバス車内人種分離法に違憲判決を出しました。ようやく、人種隔離をしないバスの第1号車が1956年12月に運行を始めたのです。

 

 それでも、バス以外の食堂、学校、図書館などの公共の場では依然としてトイレや水飲み場での人種による分離が行われたままでした。そこでキング牧師は、非暴力・不服従を通して白人の黒人への差別をなくし、黒人の市民としての権利を確立させる法律「公民権法」を全米で確立しようと運動を続けていきました。

 

 しかし、キング牧師たちの公民権を求める平和なデモ行進に対して、警察は暴力で阻止しようとしました。ひざまずいて祈っているキング牧師を逮捕するんですね。

 

 釈放されたキング牧師が自由を求めて行ったバーミンガムの行進では、警察犬が黒人に咬みつき、消防車が黒人の列に放水し、暴力で拘束しました。黒人たちの願いは届かず、白人はあくまでも力で抑えつけようとしました。

 

 キング牧師はこのとき、「非暴力主義の根底には、命を捧げられるほど愛おしくて、貴くて永遠に真実な何かがあると確信する」と演説しています。

 

 それでも非暴力主義を続けた結果、警官の命令に反して、黒人の行進に道を譲る白人たちがあらわれました。その様子は全米に報道されました。非暴力を貫く姿が、加害者側であった白人たちの良心を呼び覚ましたのです。

 

 1963年8月28日にワシントンのリンカーン記念堂前大広場で行われた集会には、25万人が集まり、そのなかには6万人の白人がいました。そこで、あの有名な演説「I Have A Dream」が行われました。その一部を抜粋します。

 

《私には夢があります
いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で
かつての奴隷の息子たちと
かつての奴隷所有者の息子たちが
共に兄弟愛のテーブルにつくことができる日が来ることを
私には夢がある
いつの日か私の小さな4人の子どもたちが
肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住む日が来ることを
私には夢がある
いつの日かアラバマで、黒人の少年少女と白人の少年少女が
兄弟姉妹のように手と手をとりあうことを
我々は、かの日の到来を早めることができるのです
黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、プロテスタントもカトリックも
全ての神の子たちが手に手をとって
あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日の到来を
「とうとう自由だ! やっと自由だ! 全能の神に感謝せん! 我々はついに自由だ!」》

 

 こうして、1964年にとうとう公民権法は成立しました。しかし1968年、キング牧師は暗殺されます。公民権運動の枠を超えて、ベトナム戦争に介入したアメリカ政府を批判した直後のことでした。

 

■世界でも日本でも転換点に

 

 この1968年は、世界でも日本でも転換点になりました。世界ではベトナム反戦運動とヒッピーが流行して、日本ではフォークソングが流行って、全共闘運動が起こりました。世界中で若者が「自由」を求めて、既成の価値観に反抗した時代でした。

 

 エコロジー、ロック(音楽)、平和主義、フェミニズム、反差別、LGBT、ポップアート、公民権など、今あたりまえになっていることの多くは、このときに問題提起されたものなんですね。

 

 それから50年以上経って、21世紀になった今でも、まだ差別は残っています。テネシー州に行ったときに聞いたのは、社会的に地位の高い人が入会できるカントリークラブがたくさんあるそうなんですが、いまだに白人しか入れないんです。

 

 テネシー州といえばアメリカンフットボールが盛んで、その総監督といったら絶大な社会的地位があります。しかし、2021年に黒人の総監督がカントリークラブに入ろうとしたら、多くのクラブが入会を断ったというんです。21世紀になってもですよ。平等と言いながらもそういう差別が残っているテネシー州の人たちはだから、黒人で日本の大学の学長になった私の話を聞きたかったんです。

 

 2019年に、私はルワンダの虐殺(ジェノサイド)についての本『神 の影 ルワンダへの旅──記憶・証言・物語』(ヴェロニク・タジョ著、エディション・エフ刊)が出たときに、その帯の言葉を次のように書かせてもらいました。

 

「ルワンダの悲劇から25年。この間も人類は殺戮をやめようとしない。著者は旅で出会った真実を書き記し、人びとの記憶から人間模様を描き出した。物語はわたしたちに、共生社会のあり方について思考する機会を与えてくれる」

 

 ここに書いたように、「共生社会」はどうあるべきなのか、それは重要な問題だと私は思います。

 

 

 以上、ウスビ・サコ氏の新刊『不自由な社会で自由に生きる』(光文社新書)を元に再構成しました。現代の自由のあり方、自由をつかみとる方法について解説します。

 

●『不自由な社会で自由に生きる』詳細はこちら

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