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「あんたはなんのために政治家に?」議員は「働かない」「世間を知らない」【泉房穂の「ケンカは勝つ!」第17回】

社会・政治 投稿日:2023.09.29 06:00FLASH編集部

「あんたはなんのために政治家に?」議員は「働かない」「世間を知らない」【泉房穂の「ケンカは勝つ!」第17回】

20代の泉氏(左)と石井氏。「世の中を知らない政治家が法律を作っている。政治家になる前に、世の中を知れ。石井さんの言葉通りやね」

 

 あんたはなんのために国会議員になったんや?

 

 私が、センセイ方一人ひとりにしたい質問です。

 

 元明石市長と紹介されることが多い私ですが、じつは2003年から2005年まで、衆院議員でした。議員になったきっかけは、私の恩師である故・石井紘基さん(元衆院議員)との出会いです。

 

 

 1989年当時、25、26歳だった私は、大学を出て入ったマスコミの仕事に限界を感じ、一人悶々としていました。そんなとき、高田馬場の書店で1冊の本に出会ったんです。当時、国会議員を目指していた石井さんの決意表明の本でした。「社会は変えることができる」。石井さんの確たる思いが全編を貫いていました。

 

 心から感動した私は、石井さんに手紙を書き、その縁で石井さんの秘書第一号になったのですが、1990年2月3日公示の節分選挙では結局、次点で落ちてしまったんです。

 

 私は当選させられなかったことを詫び、「もう1回、一緒に頑張りましょう」と言いましたが、石井さんは「君は司法試験を受けて弁護士になりなさい」と、思いもかけないことを言うんです。

 

 弁護士なんて考えたこともなかったから、戸惑いました。それに、私には明石市長になるという夢があった。

 

 なぜ弁護士を目指すのか、石井さんは理由を2つ挙げたんです。「政治家になるなら、まず世の中を知れ」「弁護士資格があれば、落選しても家族が路頭に迷わない」。

 

 石井さんは1993年の総選挙で、日本新党から出てトップ当選を果たします。私は、その翌年の1994年に4回めの司法試験にやっと合格。すでに、石井さんは国会で大活躍していました。

 

 しかし、2002年10月25日、石井さんは世田谷区の自宅前で刺殺されます。私は石井さんの自宅に駆けつけ、通夜や葬儀を手伝いました。その際、まわりから「石井紘基の遺志を継げ」と言われたんです。そして、翌2003年の総選挙に出馬し、議席を得たのです。

 

 石井さんは犯罪被害者の救済にも熱心だったので、私は2004年に犯罪被害者の権利や利益を守る「犯罪被害者等基本法」を議員立法で通しました。そのときは、私が野党の責任者で、与党の責任者が、今回の内閣改造で外務大臣になられた上川陽子さん。まだ1年めのぺーぺーの私と、当時2回生議員の上川さんの2人で詰めの与野党調整をし、最終案を作ったんです。

 

 じつは、菅義偉前首相とも議員立法で手を組んだことがあります。貸金業法の改正のときでした。当時、菅さんは3回生議員でしたが、懐の深い人物という印象やった。「この人、出世するだろうな」と思ったね。

 

 当時の国会は、今とは違って、与野党伯仲の状況で緊張感があった。議員立法とは、官僚主導の「内閣提出法案」と違って議員が起案するもので、それが生きていた。しかも、与野党が超党派で議員立法をやろうという機運が当時はあったんです。

 

 私は、議員立法をたくさんやりました。手前味噌ですが、「これだけ議員立法を通すのは田中角栄以来」と、よく言われたものです。弁護士として働いていたので、ある意味、“即戦力”やった。弱者救済を専門にしていたから、誰よりも詳しい犯罪被害者や障害者、介護保険などのテーマで法案を作った。

 

 議員になって驚いたのは、議員や官僚が世の中を知らなさすぎること。庶民の生活の苦しさも、犯罪に遭った被害者の悲しみも、障害者や高齢者の生活ぶりやその家族の苦労も知らない。塾通いして小学校をお受験して、私立の中高一貫の男子校を卒業して東大法学部に入り、官僚になって政治家になる。庶民のことなんかほとんど興味がない。そんな政治家や官僚が取ってつけたような法律を作っている。「政治家になるなら、まず世の中を知れ」。石井さんの言葉の意味が胸に染みたね。

 

 そして、働かない議員があまりに多い。もっとも、私は働き過ぎたかもしれません。土日も含めて、ずっと議員会館で法案を作っていました。夜8時くらいまで議員会館にいて、いったん晩飯を食べに議員宿舎に帰り、子供と一緒に過ごした後、すぐ戻る。だいたい深夜の12時過ぎから1時までは、議員会館で議員立法の仕事をしていました。

 

 私の観察では、遅くまで議員会館の部屋の明かりがついているのは、医者や弁護士出身の議員が多かった。彼らは選挙に落ちても医者や弁護士として食べていけると思っているし、選挙でもないときに田舎に帰ってビールを注いで回って支持を集めるよりも、国会で成果を上げて次の選挙を戦いたいという気持ちのほうが強い。だから、実績を求めて頑張るわけです。

 

 逆に、選挙に落ちないから、二世、三世議員の中にも、夜遅くまで仕事をする人が一定数います。彼らは地元回りよりも議員としての仕事を優先します。

 

 一方、多くの部屋は夜に明かりが消えていた。支援団体の会合に出たり、週末は必死に地元回りをしているから。国会議員は「金帰火来」というように、金曜に地元に帰って火曜日に東京に戻ってくるのが慣例です。それで、政治活動に身が入るはずがない。落選を恐れて政治活動を疎かにするのは本末転倒。ここでも、手に職があれば落選しても怖くないという石井さんの言葉の正しさを実感します。

 

 私は議員を経験し、あらためて法律というものは世の中に合わせて作り替えていいんだと学びました。

 

 それは、私が明石市長として、全国初の条例を多く作ったことにも繋がっています。国の法律が間違っていると思ったときは、市民のために法律を超える条例も作った。

 

 マスコミを経て、弁護士となり、国会議員に当選し、そして明石市長として結果を出した。紆余曲折はあったが、ここに至るきっかけを作ってくれた石井紘基さんには、感謝の気持ちしかありません。

( 週刊FLASH 2023年10月10日号 )

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