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オウム麻原元死刑囚の「池田大作をサリンで殺せ」指令「サリンは創価学会が散布」発言を上祐史浩氏が懺悔
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.11.28 06:00 最終更新日:2023.11.28 06:00
「オウム真理教は、池田大作氏などを狙ってサリンを散布する計画を立てていました。また私個人も、創価学会に関する虚偽の広報をしたことがあります。一連の出来事をあらためてお詫びしたいと思います」
創価学会の池田大作名誉会長(享年95)の死去を受け、こう懺悔するのは、オウム真理教の外報部長を務め、現在は「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏(60)だ。
「麻原(彰晃元死刑囚、教団代表)は、1990年にオウム真理教が真理党を立ち上げたときから、創価学会を敵視していました。『マスメディアを通じて、我々の選挙・政界進出を妨害している』と主張したのです」
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そして、麻原元死刑囚の敵意が“殺意”に変わる。
「1993年8月にサリン合成に成功すると、創価学会施設にラジコンヘリでサリンを散布する計画が立ち上がったようです。しかし、ヘリが操縦ミスで大破したため車両からの攻撃に変更され、さらに2度にわたり創価学会の行事に出席している池田大作氏を襲撃し、暗殺する計画が実行されたといいます」
1993年11月には東京牧口記念会館、12月には創価大学での行事に出席していた池田氏が狙われたが、ともに計画は失敗し、逆にガスマスクをつけていなかった実行犯がサリン中毒になってしまったという。
上祐氏は当時、ロシア支部に出向中だった。これら3件の暗殺未遂事件について知ったのは、元幹部らの裁判が報じられてからのことだった。
「しかし、その時期に麻原と、池田氏襲撃の実行犯だった中川智正、新実智光(ともに元死刑囚)、村井秀夫(1995年に刺殺)がロシアに来ました。その際、麻原が『君たちの病いも治るだろう』と言っていたのです。誰も病名を言わないことがきわめて不自然で、あとで、『あれはサリン中毒だったのだ』と気づきました」
そして、1995年3月20日、オウムが地下鉄サリン事件を起こしたあと、ロシアから急遽呼び戻された上祐氏は、教団のスポークスマンとして、連日、弁舌を振るうことになる。
「私は、池田氏へのサリン襲撃事件については知らなかったものの、ロシアに赴任する前に教団がサリン製造を計画していたこと自体は知っていました。そのため、私は地下鉄サリン事件に教団が関与したことを感知していました。しかし、麻原は私に『サリンは創価学会が撒いた』とマスコミに発表するように指示したのです。私は『それは説得力がない』と考えて、当初は主張しませんでした」
だが、麻原元死刑囚の考えは変わらなかった。
「4月1日、麻原は私にはっきりと『なんで創価学会の名前を出さないのか』と言いました。口調から怒りは感じず、かえって“名前を出すのは当然だ”という思いが伝わってきました。そして、そばにいた早川紀代秀(元死刑囚)に対して、『なあ、ティローパ』と宗教名で呼びかけ、早川は『そうですね』と、いささか強い口調で応じたのです」
その翌日以降、上祐氏は報道番組や会見で、「地下鉄サリン事件など、一連の事件には創価学会が関係している」などと主張するようになった。
「生放送中に私が創価学会の名前を出すと、舛添要一氏ら出演者は真っ青になり、スタジオの空気が一変したことを覚えています」
創価学会は抗議文を発表。名誉毀損で告訴するという話も、上祐氏の耳に入ってきた。
「ところが創価学会は、最終的には『誰も信じないから告訴はしない』とコメントしたと記憶しています。それを知った私は安堵するとともに、オウムと同じ土俵に上がらない創価学会の姿勢に、内心感服しました」
麻原元死刑囚にとって、池田名誉会長とはどのような存在だったのか。
「私が今推察するに、池田氏が日本宗教界の最大の存在であり、既存権力の象徴だったからこそ、麻原には『自分が救世主である』という自らの妄想的な野心に対する障害に見えたのではないかと思います」
取材/文・深月ユリア