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死んでも怨霊となって祟る「富岡八幡宮」弟と姉の確執16年

社会・政治 投稿日:2017.12.12 06:00FLASH編集部

死んでも怨霊となって祟る「富岡八幡宮」弟と姉の確執16年

 

 江戸三大祭りのひとつ「深川八幡祭り」がおこなわれ、“横綱の聖地”として知られる名社・富岡八幡宮で、12月7日夜に驚きの殺傷事件が起こった。宮司の富岡長子さん(58)と専属運転手の男性が、長子さんの弟・富岡茂永容疑者(56)とその妻・真里子容疑者(49)に襲われたのだ。

 

 犯行後、茂永容疑者は神社敷地内の長子さん宅玄関前で真里子容疑者を殺害、さらに自身の左胸を刺して自殺。犯行から自殺まで、わずか5分だった。

 

 茂永容疑者を凶行に駆り立てたものはなにか。取材の結果、16年間に及ぶ姉弟間の確執が浮かび上がってきた。

 

 1995年、宮司に就任した茂永容疑者だったが、女性関係など素行面の悪さを伝える怪文書が出回ったことをきっかけに、2001年5月に職を追われる。

 

「宮司になってからは毎晩のように銀座などのクラブに入り浸り、1カ月で200万円以上使っていた。それも、神社の運営費。計数千万円も使い込んでいることが明らかになって辞めさせられた。女性関係も派手で、ホステスの1人を愛人にし、2番めの奥さんをあっさり捨てて、3番めの奥さんにしてしまいました」(氏子の1人)

 

 この氏子によると、手切れ金1億2000万円と月々30万円の生活費を支払う条件でようやく話がつき、茂永容疑者に代わって前の宮司であった父・興永さん(故人)が復職した。

 

 2006年には、茂永容疑者が「積年の恨み。地獄へ送る」などと書いたハガキ2枚を姉の長子さんに送りつけて脅迫た疑いで、逮捕される。

 

「このころ怪文書が関係者宅にばらまかれました。『興永は巫女に手を出し、長子は賽銭をネコババしている』といった内容だった。証拠はないが、茂永の仕業だと噂していました。逮捕されて、やっぱりな、と。長子も弟の宮司時代の醜聞を積極的にマスコミに流して追い落としを図ったと言われていました」(別の近隣住民)

 

 茂永容疑者と入れ替わりに、長子さんが跡継ぎになったのは2010年のこと。

 

 しかし、全国の大多数の神社を統括する宗教法人・神社本庁は申請を受けても長子さんを宮司と認めなかった。茂永容疑者の息子が富岡八幡宮の職員を解雇されたことをめぐり裁判が係争中であること、長子さんが必要な研修を受けていないことが理由で、長子さんは「宮司代務者」と表記された。

 

 境内には天皇皇后両陛下の訪問を記念して2014年に建てられた記念碑がある。当初は「宮司富岡長子」と刻銘していたが、全国の神社に「長子は宮司代務者なのに職名詐称している」という文書がまかれ「宮司」の部分を埋めた。

 

 殺された長子さんの姿勢に疑問を感じる関係者もいたようだ。

 

「神社の会合に派手なドレスで出席。やんわり『和装のほうがよいのでは』とアドバイスすると、セクハラだ!と激昂した」(富岡八幡宮の賛助団体の幹部)

 

 2017年6月、宮司への任命を認めない神社本庁を離脱した長子さんは、正式な宮司に就任。茂永容疑者の “復職計画” 実現は絶望的になった。

 

 12月9日、富岡八幡宮の関係者のもとに、自殺した茂永容疑者からの8枚にも及ぶ手紙が届いた。内容は、長子さん、興永さん、親族関係者への誹謗中傷と、息子を富岡八幡宮に宮司として復職させろという要求だった。

 

<もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永久に祟り続けます>

 

 姉弟の対立は解決することなく、最悪の結果を迎えた。

 

(週刊FLASH 2017年12月26日号)

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