「5年間も放っておいて、10月31日には判決を出すという。裁判所の決定には、何か恣意的なものを感じます」
そう語るのは、ある暴力団関係者だ。
10月8日、神戸地裁で開かれたのは、事件当時は神戸山口組傘下で、2021年に六代目山口組に復帰した山健組組長、中田浩司被告(65)の裁判員裁判の初公判。傍聴するには荷物をロッカーに預けることを義務づけるなど、異例の形で裁判はおこなわれた。
中田被告は、2019年8月、神戸市にある六代目山口組系弘道会の神戸事務所前で、軽車両に乗った組員に対し拳銃を6発発砲、そのうち5発を命中させ殺害しようとしたとして、殺人未遂などの罪に問われている。本誌は当時、事件とともに、弘道会の神戸事務所内で、兵庫県警の警察官が防犯カメラの映像をタブレットで撮影している様子の写真が流出しているというニュースを報じている。
事件から5年も経過して始まった裁判だが、なぜこれほど時間がかかったのか。ヤクザ界に詳しいジャーナリストは次のように話す。
「中田被告は、六代目山口組が分裂し神戸山口組が結成された、キーマンのひとりだからでしょう。
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もともと、五代目山口組渡辺芳則組長の出身母体であり、神戸に本拠地を置く山健組は、『山健にあらずんば山口にあらず』とまでいわれたほど、山口組の中核を担っていました。ところが六代目山口組は、トップ2が名古屋に本拠地を置く弘道会出身となり、弘道会が中心の組織になりました。
それで、当時の山健組井上邦雄組長が中心となって六代目山口組を脱退し、神戸山口組を結成しました。神戸山口組の組長には井上氏が就任し、代わって山健組を継いだのが、ナンバー2だった中田被告でした。
しかし、井上組長は、六代目側からさまざまな抗争を仕掛けられても、なかなか返しをしないとみられていました。そこで、あえて組長の中田被告が、六代目山口組系組員に、自ら拳銃を発砲したのではないかとみられています。本来、組長自身が実行犯になるなど前代未聞のことですから、この事件で、中田被告と井上組長との亀裂が表面化しました。結果、山健組は神戸山口組側から離れ、独自に生き延びようとしたものの、最終的には六代目山口組側に戻ってしまったのです」
神戸山口組側からすると、中田被告率いる山健組は「井上組長を裏切った組織」になり、六代目山口組側からしても「一度は裏切って出て行ったが、戻ってきた組織」ということになった。さらにこう話す。
「検察や裁判所は、双方の分裂抗争が沈静化した後に、裁判を始めたかったのかもしれません。しかし、9月9日には、宮崎市にある独立系組織・池田組系の事務所が銃撃される事件も起きており、対立している六代目山口組系組員が現行犯逮捕されています。終わりの見えない抗争の終息をいつまでも待つわけにはいきませんから、このタイミングで裁判を始めることになったのではないでしょうか」
初公判で、中田被告は「すべて間違っています。私は犯人ではありません」と起訴内容を全面否認した。ヤクザ界の大事件の公判に、注目が集まっている。
( SmartFLASH )