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「ビン・ラディンは客人」中村哲さん銃撃から5年、いまも慕われる「カカ・ムラト」が23年前に明かしていた “アフガンとタリバン” の真実

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記事投稿日:2024.12.05 17:11 最終更新日:2024.12.05 17:11
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
「ビン・ラディンは客人」中村哲さん銃撃から5年、いまも慕われる「カカ・ムラト」が23年前に明かしていた “アフガンとタリバン” の真実

用水路工事の陣頭指揮を執っていた中村哲さん(写真・共同通信)

 

 1984年からアフガニスタンパキスタンの国境周辺で医療活動に携わり、2000年以降は深刻な干ばつに見舞われていたアフガニスタンで井戸掘りや用水路建設に取り組んでいたNGO「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表だった医師の中村哲さん(享年73)。

 

 2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中、武装集団に銃撃され亡くなってから5年が経った。

 

 

 現地のジャララバードでは、4日、中村さんを追悼する催しがおこなわれたと報じられている。

 

「もともと医療活動をおこなっていた中村さんでしたが、それ以前にアフガニスタンでは “きれいな飲料水” の確保が重要だと考え、井戸掘りを始めることになりました。その次は農業の復興が住民たちの生活に肝心と考え、灌漑用用水路の建設へとつながっていきます。

 

 そうした長年の活動が認められ、アフガニスタンで国家勲章を贈られ、銃撃の直前には名誉市民権を与えられるなど、現地では『カカ・ムラト(ナカムラのおじさん)』と慕われた存在だったのです」(国際ジャーナリスト)

 

 2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件――。

 

 その翌日、中村氏はパキスタンのペシャワールからアフガニスタンに入り、国境近くのジャララバードに3日間滞在したあとの9月17日、日本に一時帰国していた。本誌はそのとき、中村さんにインタビューをおこなっている。

 

 同時多発テロを受け、ジョージ・W・ブッシュ米大統領(当時)はテロとの戦いを宣言。イスラム過激派テロ組織「アルカーイダ」の指導者であるウサマ・ビン・ラディンを容疑者とみなし、アフガニスタンの支配勢力だったタリバン政権に引き渡しを求めた。

 

 まさに、米国とアフガニスタンの戦争が始まろうとしていた状況だった。中村さんは、来たる戦争へこみ上げる怒りを抑えながらこう語った。

 

「内戦と大干ばつにより、村の半数以上が無人化し、廃村に追い込まれている。農作物は取れず、感染症や栄養失調で村人がバタバタと死んでいきました。飲料水がないのは致命的です。

 

 まずは村民が生きるための水源を確保しなければと思い、私たちは、昨年6月からアフガン人700人とともに手掘りで500数十カ所の井戸を掘ってきました。

 

 その際は、元アフガンゲリラ兵士たちも参加し、大きな石を爆破するワザを披露してくれました。それで25万~30万人の難民化を防ぐことができましたが、アメリカの報復が始まれば、復旧しつつある村も罪のない村民たちもすべて吹っ飛んでしまいます」

 

 先述のとおり、同会は長年の医療活動でアフガン国民の信頼も厚かった。中村さんはこう続けた。

 

「アフガン社会はもともと外国人を受けつけない社会なんですが、ある地域で外国人排斥運動が起こったとき『俺たちも出ていかなくては……』と言ったら、『あなたたちは外国人ではない』と。役に立つ外国人は別のようです」

 

 当時、アフガニスタンは過去数十年で最も深刻な干ばつに見舞われていた。世界保健機関(WHO)は2000年、アフガン国民(約2100万人)のうち、400万人が飢餓に直面、100万人が餓死する可能性があることを指摘した。帰国したばかりの中村さんの実感もその悲劇に近かったと明かしていた。

 

 そんななかでの戦争の予兆。米国による報復の原因を作ったビン・ラディンと彼を擁護するタリバン政権への反発は必至と想像するのだが、国民感情は複雑なのだと当時の中村さんは話している。

 

「一般国民は、20年以上内戦が続いているうえに、もうこれ以上、血なまぐさいのはこりごりだと思っている。ただ、一般の農民や遊牧民、都市でも貧困層の人々など国民の大半は、『これまでよりはマシ』ということで、タリバン政権を消極的ではあるが支持している。

 

 罰則が厳しくなったせいもあるが、略奪、婦女暴行、市街戦がなくなるなど、何よりも治安がよくなりましたしね。国民の20年来の悲願である、アフガン統一と平和を実現してくれるのではないかという期待感がタリバンを支えているんです。

 

 だから、タリバンがビン・ラディンの引き渡しを拒否することで攻撃を受けるとなると、非常に複雑な心境でしょう。報道されているような『オカルト集団的で、狂信的なイスラム原理主義者が民衆にイスラム法を押しつけて恐怖政治を強いている』というイメージとは違うのです」(同)

 

 それに加え、われわれ日本人には理解しがたいアフガニスタン社会の大義があるのだという。

 

「彼らの社会秩序の根幹に『客人歓待』という基調がある。つまり、誰であれ、助けを求めてくるものはかくまうし、いったん客人とした以上は保護しなければ、アフガン人としての誇りが許さないというわけです。米国人でも頭を下げれば、彼らはかくまうでしょう。

 

 ですから、(サウジアラビアから来た)ビン・ラディンは客人で、客人を攻撃するものは敵であるとみなすんです。

 

 もちろん、一般の国民がビン・ラディンの存在を迷惑がっていることは確か。でも、カブール市の一部の復興を手助けしたビン・ラディンに恩義を感じていることも、また事実なんです」(同)

 

 ビン・ラディンはテロから約10年後の2011年5月、米軍により殺害され、2001年10月から始まったアフガン戦争は、2021年8月31日にジョー・バイデン米国大統領が戦争終結を宣言し、終結した。

 

 中村さんが活動拠点としていたジャララバードには、中村氏を讃える追悼広場「ナカムラ」が設置されている。

 

 彼の死後も、その遺志を引き継いだ人々により、灌漑施設の整備などが続けられている――。

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