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石破首相「令和の列島改造論」提唱…本家・田中角栄の「日本列島改造論」との “根本的な違い” とは
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2025.01.09 15:15 最終更新日:2025.01.09 15:15
2025年1月6日、石破茂首相は三重県伊勢市で年頭記者会見をおこない、「令和の日本列島改造論」を提唱した。
「この改造論は、石破首相の持論である地方創生を通じて東京一極集中を是正しようという構想です。
政府機関の地方移転を進めることで、民間企業の本社機能の移転も後押し。また、地方の人口を増やすため、政府の若手職員が週末は地方で過ごすなど、2拠点で活動できるような支援制度の新設も打ち出しています。
首相は『成功させなければ日本に将来はない、との危機感を強く持って列島改造を進める』と決意を示しましたが、ある意味、東京の勢いを削って地方を元気にするということですから、都市部の住民からは反発も予想されそうです」(政治担当記者)
日本列島改造といえば、どこか聞きなじみのある単語だ。そう、田中角栄元首相が1970年代の高度成長期に唱え、実行した政策である。石破首相は、鳥取県知事を務めた父・石破二朗さんと親交のあった田中元首相のすすめで政界入りした経緯があり、“師匠” の肝いり政策のリメイクを考えているわけだ。
はたして、石破首相は、“令和の田中角栄” になれるのか。
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1972年6月に田中角栄氏の政策綱領として出版された『日本列島改造論』は90万部を超えるベストセラーとなった。当時、通商産業大臣秘書官として同書を取りまとめたのが小長啓一氏だ。本誌は2015年8月、当時84歳の小長氏に「列島改造」にかけた角栄氏の思いを聞いている。
「ある日、田中さんに呼ばれまして、『自分は代議士1年生のときから国土開発に取り組んできた。通産大臣になって工業面も勉強した。それで、全体像を本にまとめたい』と。
では、どこから出そうかという話になったとき、田中さんは『(朝日や読売など)全国紙から出すと、出せなかったところは反田中になってしまう。だから無難な日刊工業新聞で』と鶴の一声でした」(以下、「」内は小長氏)
通産省から若手官僚数名と、日刊工業新聞の記者12~13名がチームを作り、一気に執筆したという。
「事前に田中さんから数時間のレクチャーを計4日間受けました。田中さんは、新幹線、高速道路網、港湾整備、農村工業化など国土開発の話をとうとうと語られた。要するに、東京一極集中による過密と過疎の弊害を直さにゃいかんと。
田中さんは要職につく前の下積み時代、全国を自分の足で見て回っている。それで、『新幹線はここを通すべき』と話すときも説得力があった」
だが、列島改造論は全行政に関わる大構想だけに、通産省だけではとてもまとめきれない。各省の協力がどうしても必要で、どこまで協力してくれるかが心配の種だった。
「おそるおそる各省の局長クラスに電話すると、『角さんがやるんだったら全面協力だ』と異議を唱える者が誰もいない。田中さんは若いころから議員立法を何十本も作っていて、その過程で役人が角栄ファンになってしまうんです。
というのも、田中さんは大きな方向を示し、あとは役人に任せて『責任は俺が取る』と言ってくれる。こんな政治家は滅多にいませんからね。こうした田中ファンの役人が偉くなっていて、『角さんの顔をつぶしちゃいけない』と懸命に動いた」
列島改造論がブームとなり、出版から3週間後に、田中氏は福田赳夫氏を破って自民党総裁に就任する。
当時、田中派の旗揚げに真っ先に参加した一人が、元衆院副議長の故・渡部恒三氏だった。渡部氏は本誌にこんな言葉を残している。
「田中先生には、日本全体を豊かにしようという信念があった。国民に夢を持たせてくれた。今の政治家と、そこが大きく違うんだな」
本家「日本列島改造論」には日本全体を盛り上げる意図があった。だが、石破首相の「改造論」が目指すのは、都市部と地方の平準化でしかない。 はたして「令和の日本列島改造論」は、国民にどれほどの夢を見させてくれるのか──。
( SmartFLASH )