社会・政治
“選挙の神様”藤川晋之助さん死去…都知事選“石丸旋風”の立役者が本人に遺していた「忠告」

2月12日、デヴィ夫人の新党「12(ワンニャン)平和党」の設立会見に出席していた藤川晋之助さん(写真・長谷川 新)
数々の選挙に携わり、“選挙の神様”と呼ばれた選挙プランナーの藤川晋之助さんが、3月11日未明、東京都内の病院で死去した。71歳だった。
藤川さんは自民党国会議員秘書を経て大阪市議などを務めたのち、2017年には東京維新の会事務局長を務め、東京での維新の躍進に貢献した。
「2019年の参院選で当選した音喜多駿氏(東京都選挙区)と柳ケ瀬裕文参院議員(比例区)は、藤川さんのおかげで当選した」と、政治部デスクは語る。
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その後、自身が代表を務める「藤川選挙戦略研究所」を設立。2024年7月の東京都知事選では、鳥羽博道(とりば・ひろみち)ドトールコーヒー名誉会長から要請を受け、前広島県安芸高田市長の石丸伸二候補の選対幹部として、小池百合子都知事に次ぐ約165万票を集め、“石丸旋風”を巻き起こした。
「この石丸旋風の仕掛け人として、藤川さんの名前は一気に広く知られるようになりました」(同前)
さらに、2024年9月の自民党総裁選では高市早苗候補を支援するなど、国政にかかわる“キーマン”としても、頻繁に顔を見せるようになっていた。
2月12日には、タレントのデヴィ夫人らが設立した新党「12(ワンニャン)平和党」の設立会見にも出席。党の選対委員長を務めることも発表されていた。
本誌記者は別件の取材のため、3月4日、藤川さんの携帯に連絡を取っていたが、ずっと留守電状態だった。後日、藤川選挙戦略研究所に連絡すると「入院中なんです」との回答で、3月中旬ころには退院できるかもしれない、と伝えられていたのだが……。
日本維新の会関係者は「心臓の具合がよくなかったようです」と明かした。
藤川さんの選挙プランナーとしての腕前を、2024年の都知事選の中盤ごろ、別の選挙プランナーはこう評価していた。
「藤川さんは組織化することがうまいんです。きちんと“選対”を作り、ボランティアの説明会もやって、選挙の形を作るのがとてもうまい。選挙運動を手伝う人たちを組織化するのが抜群にうまい。
石丸さんの街頭演説に人が大勢、来ていますが、街頭演説を設定して、回して、仕切って、あれは全部、藤川さんのところで働いていた元スタッフなどが中心になっています。
1日に10カ所なんて街頭演説は本当にたいへんですが、藤川さんとスタッフはそれをしっかりと回していますから、本当にすごい人だと思います」
藤川さんは都知事選後、石丸氏とは距離を置いていた。ときには、石丸氏の姿勢に批判することもあった。
石丸氏が2025年1月、地域政党「再生の道」の設立に関する記者会見で、参加するメディアの記者を制限するため、都庁記者クラブ所属、マス媒体の有無、もしくは登録者数100万相当のネット媒体などの基準を設けたことについて、当時、藤川さんは本誌にこう答えていた。
「昨年の都知事選はオールドメディアとニューメディアがコラボして、“石丸現象”が成功したと思っています。なので、もっと寛大にフリー記者にも対応したほうがいいと思いますね。
推測ですが、あえてそうしたフリー記者を排除することによって、さらなる炎上商法というか、話題作りをしているようにも見えますね。そうしたことをしても、半分くらいの“石丸ファン”は熱狂的に彼についていきますからね。
もっと広く、いろいろな記者を受け入れたほうが私はいいと思っていますし、ぜんぜん問題ないと思いますよ。会見で、そうした記者たちと『ああだ、こうだ』と言われながら、やりあいするぐらいのほうが、よほど緊迫感があっていいと思うし、そのほうがカッコいいしね」
藤川さんの思いを、石丸氏はどのように受け止めていたのだろうか。