社会・政治
【意地悪質問】公明党・斉藤鉄夫代表が語った「自民党の手腕」「選挙責任への覚悟」、コアすぎる趣味愛も

時刻表が高々と並べられてある。鉄道オタクぶりがうかがえた(写真・木村哲夫)
公明党の斉藤鉄夫代表(73)。温厚な人柄として知られ、正直者とも評される。その正直さゆえなのか、代表就任直後の記者会見では、昨年の衆院選での敗北を自民党の裏金問題に一因があるとして「もらい事故」と発言してしまった。このように”裏表がない”斉藤氏に、本誌は20の質問をぶつけた。斉藤氏は「答えづらい質問ばかりですね」と頭をかきながらも、正直に答えてくれたのだった。
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・全国を遊説するときの元気の源はなに?
「遊説先では、地方の食材で作られたお弁当を用意していただくこともあります。これが楽しみです。先日は鹿児島県に伺いましたが、黒豚と牛肉のお弁当をいただきました。そして熊本では馬刺しのお弁当。お米をひと粒も残さずいただきます」
・「てっちゃん」の愛称で呼ばれたい
「1、2回、『てっちゃん』と呼んでいただきましたが、嬉しかったですね。私のような分際が『てっちゃんと呼んでください』とお願いするのもおこがましいのですが、『てっちゃん』とお声がけいただけたらありがたいです。
余談ですが、公明党には名前の下に『つお』がつく議員が多いんです。高橋光男、山口那津男、矢倉克夫、斉藤鉄夫。そして名前の頭の部分を並べると『みなかて(皆、勝て)』になります。どうでもいい話をしてすみません」
・自民党の国会議員で尊敬する人は?
「私と同じ広島県出身で、中選挙区制時代に旧広島1区から出馬された粟屋敏信さん(元衆院議員)です。当時の建設省で事務次官まで務め上げ、86年に初出馬して当選されました。『謙虚さ』と『頭脳明晰さ』を兼ね備えた方でした。私も可愛がっていただきました。
あるとき、障害者団体の集まりがありました。粟屋さんは『耳が不自由な方も参加されるから』と、事前に我々から原稿を集め、それをオーバーヘッドプロジェクターという装置でスクリーンに映したのです。そして、粟屋さんは映し出された原稿を読むのですが、手元に原稿を置くわけでもなく、ましてやスクリーンを見ることもなく、スラスラと長文の挨拶文を一字一句、間違えることなく読み上げました。粟屋さんに聞いたら『文章を見ると、それが(映像・写真のように)頭に入る。それを読むだけなんだ』とおっしゃっていて驚かされました」
・自民党の政治手腕を強引だと思うか?
「自公連立政権なので、自民党さんが小さな公明党にしっかりと配慮してくれている部分はあると思います。
しかし、国民には『いつも公明党が折れている』というように映ってしまうのだと思います。『踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪』ではないですが、公明党も下駄の雪と評されることがあります。しかし現実は、しっかり両党で議論して、我々の意見も取り入れられています。たとえば消費税では食品の税率を8%にする軽減税率を実現させました。とはいえ、自公で意見を戦わせていると、マスコミさんに『与党で亀裂』と報じられてしまうこともあるのです(笑)」
・小さいころの夢は宇宙飛行士だった
「宇宙にはとても興味がありましたが、宇宙飛行士になりたいというより、宇宙の研究をしたかったんです。
私、じつは微妙な色の違いがわからない軽度の色弱で、視力も悪い。小さいころの病気で左耳も聞こえませんから、もともと宇宙飛行士にはなれないんですね。東京工業大学(現・東京科学大学)を卒業後、清水建設に入社しました。3年間、アメリカのプリンストン大学に留学して、帰国後に同僚たちとともに、会社に『宇宙開発室を作ってくれ』と直訴しました。当時はバブルで、会社も若い社員の提案を受け入れてくれたんです。宇宙開発室では、『最高の観光旅行は、宇宙から地球を見ること』と思っていたので、地球を周回する宇宙観光ホテルなどを提案しました」
・鉄道愛は石破茂首相よりも深い
「子供のころから鉄道好きです。今でいう『乗り鉄』です。小学校低学年のとき、父母と私で島根の山の中から日本海へ海水浴に行きました。三江線はディーゼル車。江津駅で山陰本線の蒸気機関車に乗り換えました。とてもいい思い出です。30年来の“鉄友”石破首相も山陰地方ですから、会えば同じような鉄道の思い出話で盛り上がります。
先日、1970年代の時刻表を差し上げたのですが、思い出が蘇ってきたようで、話が止まりませんでした。石破首相の鉄道愛はすごいですね」
・時刻表検定はなぜ5級止まり?
「検定協会が解散してしまったからです(笑)。
いきなり最上級の博士や1級に挑戦することもできましたが、私は『よし、5級からコツコツと上がっていくぞ』と決意したのです。そうしたら、4級を受ける前に協会がなくなってしまって。本来なら、博士になっていたと自負しているのですが」
・今夏の参議院選挙に向けた秘策がある?
「安全保障、経済、国民の暮らし、防災・減災対策など国民生活に重要なことには、財政的な信頼性も併せて、責任を持って政策提言をします。
公明党としては、なんとしても7選挙区で勝ち、比例区でも当選を積み増し、自公で過半数を確保します」
・選挙結果の責任を負う覚悟はある?
「もちろんです。選挙結果は代表が責任を負うものです。私の政治生命を賭けて、しっかり臨む覚悟です」
・国会議員になってよかった?
「よかったと思います。民間企業で技術者として働き、科学技術政策の不備などから『このままでは日本の将来は危ない』と感じていました。国会議員になり、日本の科学技術の下支えができたことは、一例ですがよかったです。
生まれ変わっても国会議員になりたいか? それは別の問題でして、今はなんとも言えません(笑)」
7月の参院選まで後3カ月。てっちゃんコールは巻き起こるだろうか。