
城内実氏。コレクターから譲り受けたという、高峰秀子のプロマイド一式もファン垂涎のお宝だ(写真・布川航太)
テープがすり切れるほどリピートした曲、厚い “壁” にぶつかったときに聴いた曲――。音楽好き政治家に聞いた「自分のための応援ソング」。自民党衆院議員で、経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣を務める城内実氏は、高峰秀子の楽曲を挙げた。
「SP盤を集め始めたのは、中学生のころ。学校図書館に蓄音機の本があって、どんな音が出るのかな、と興味を持ったのがきっかけです。その後、東京・日本橋の三越でSP盤のフェアを開催していることを知り、出かけてみたんです。
このときは、渡辺はま子の『支那の夜』を2000円ほどで買いました。SP盤収集はマニアの人口が少ないので、意外と安いんですよ。今でも平均でそれぐらいです。
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当時のモジュラーステレオのレコードプレイヤーは78回転・45回転・33.3回転、つまりSP・EP・LP盤とぜんぶ聴けたんですけど、まずは小遣いをはたいて、ポータブル蓄音機を買いました。ただ、蓄音機の針で何回も聴いていると盤が削れてしまうので、大学以降は電気再生をするようになり、オーディオにも凝り出しました。
このプレイヤーは英国製のガラード301で、BBC仕様のものは各国の放送局で使用していた機種。今では40~50万円するのを10数万円で手に入れました。プリアンプは真空管で米マッキントッシュ製C20の前期型。スピーカーケーブルを当時の安価な電話線に使うような銅線に代えただけで、音がぐっと前に出てくるようになりましたね。
SP盤を多く扱っている神保町の富士レコード社には当時から通っていましたが、骨董市では古道具店がケースごと安く出品していたりするんです。東郷神社や乃木神社、花園神社、平和島の骨董市にはよく出かけました。
高校大学では同好の士とめぐり会うことはありませんでしたが、骨董市などで知り合った仲間とは、今でもよく情報交換をしています。自分同様の若いマニアがいたんです。もう、みんなだいぶ年を取りましたが(笑)。
今、おもに集めているのは昭和15~20年にかけてのコロムビア・レコードの、レーベルが簾模様の “すだれ盤”。ちょうど戦時中ですが、軍歌や戦時歌謡一辺倒ではなかったんですよ。昭和18年にはジャズやハワイアンなどが敵性音楽として統制されましたが、みんな “戦争が終わるまで押し入れにちょっと閉まっておこう” ぐらいの感覚で、今でもけっこう残っているんです。
ただ、SP盤は樹脂製で、塩化ビニール製のEPやLP盤と違って、乱暴に扱うと割れます。物資窮乏の折に製造された当時の盤、特に大東亜盤(戦時中の日本ポリドールの名)はそのなかでも割れやすいんです。だから、好きな曲は保存用・観賞用と複数枚持っています。この高峰秀子の『煙草屋の娘』もそう。稀少盤でずっと探していたのをようやく手に入れ、聴けない状態の盤も持っています。
デコちゃん(高峰の愛称)は自伝『わたしの渡世日記』を学生時代に読み、いろいろ苦労されたのを知ってファンになりました。笠置シヅ子と戦後に共演した映画『銀座カンカン娘』は主題歌も大ヒットし、『カルメン故郷に帰る』の劇中でも歌っています。戦前の少女時代にも何曲か吹き込んでいて、うち一曲が『森の水車』です。作詞を私の地元の浜松市出身の作詞家・清水みのる氏が手がけ、♪コトコトコットンと欧米調の軽快な曲ですが、これも昭和17年の戦中の曲なんです。
当時のアメリカのジャズも日本盤でよく聴きます。日米開戦直前まで、かなりの数のアメリカのジャズなどの軽音楽の曲が日本のレコード会社を通じて発売されていた、という事実を知らない人が多いけれど、戦前の日本人もこよなくアメリカ文化を愛していたんです。『森の水車』はそんなことを教えてくれます」
きうちみのる
静岡県浜松市出身 東京大学教養学部卒業後、外務省に入省。2003年に初当選し、2024年より経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、経済安全保障)を務める
取材/文・鈴木隆祐