社会・政治
参政党・神谷代表、後輩が語る大阪ボウリング場「バイトリーダー時代」常連客から「目が笑ってない」とイジられ返した“言葉”

7月20日の参院選投開票日、参政党本部で当確した候補者に “バラ” をつけていく神谷代表(写真・梅基展央)
2025年7月20日投開票の参院選で、非改選1議席から計15議席へと躍進した参政党。その理由は「日本人ファースト」のスローガンと、神谷宗幣(そうへい)代表の強力なリーダーシップだ。
「まさか神谷先輩が、こんなにビッグになるなんて……」
そう驚くのは、関西在住の40代男性・Aさん。Aさんが神谷氏と出会ったのは1990年代後半。大阪府吹田市のボウリング場「フタバボウル」だった。
「彼は大学4回生で、15人くらいいた学生バイトたちの最年長。全員から神谷先輩と呼ばれて、慕われていました」(Aさん・以下同)
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近くに神谷氏の母校・関西大学があり、大阪弁が飛びかう職場。それでも、福井県出身の神谷氏は溶け込んでいた。
「『俺、実家は福井でスーパーを経営しているんだ』と話していましたね。先輩は受付や接客、レーンの掃除まで、なんでもこなしていました。同僚は、後にメジャーデビューしたバンドマンや格闘家など、個性的なメンツでしたが、先輩はリーダー的存在でした」
深夜に仕事が終わると、朝まで飲むこともあった。
「飲んでも乱れることはなくて、言葉少なに最後はピシッと締めるタイプ。社員さんの車に乗せてもらって、先輩と梅田までラーメンを食べに行ったこともあります」
Mr.Children好きを公言する神谷氏と、カラオケに行くこともあったという。
「当然、モテていました。想いを寄せる同僚もいましたが、先輩にはたしか、同じ大学に彼女がいたんです。浮気することはなかったですね」
神谷氏はこのボウリング場に5年間務め、常連客からも人気だった。
「接客がさわやかすぎて、年配の女性客から『あんた、目が笑(わろ)てない』とイジられていました。先輩は『こういう顔なんです』と返していました」
神谷氏は大学卒業後、福井で高校講師に。疎遠になったAさんだが6年後、神谷氏の吹田市議選への立候補を知って驚いた。
「ガタイがよくなっていましたが、『宗幣』という名前ですぐにわかりました。バイト時代は政治問題や、ましてや外国人に批判的な発言を聞いたことがなかったので、驚きました」
「彼女ファースト」だった神谷氏の“豹変”。だが数年前、偶然、再会したときには、神谷氏は変わらぬ笑顔で「Aじゃないか!」と声をかけてきたという――。
写真・本誌写真部