社会・政治
「安直な動機が透けて見える」豊田真由子氏、参政党入りに霞が関はため息

参政党入党を表明した豊田真由子(写真・共同通信)
「これまで触れることのなかった8年前の暴言事件について、ご自分のSNSアカウントで擦るようになっていました。これも政界復帰のための“清算”だったのかもしれないと、参政党入党の会見を見て合点がいきました」
こう明かすのは、豊田真由子氏と同期入省のキャリア官僚だ。
参政党は9月8日、元衆議院議員の豊田真由子氏の党政調会長補佐への起用を発表した。豊田氏は厚生労働省の元キャリア官僚。自民党所属の衆議院議員だった2017年、「週刊新潮」でパワハラが報じられた。秘書に日常的に暴言を吐き、運転中のクルマの後部座席から運転席を蹴る危険行為もあったなどと報じられたことで、自民党を離党。同じ年の総選挙に無所属で立候補したが落選していた。当時を知る大手紙の県版担当記者の話。
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「録音で曝露された暴言には、有名な『この、はげー』などの侮蔑発言の他にも、興奮状態だったとはいえ議員の資質に疑問がもたれるものもありました。
2012年の衆院選で初当選し、2014年に再選したものの、選挙区の埼玉が地元ではなかったことなどもあって、なかなか後援会が組織されなかったといいます。また当時、秘書の入れ替わりも激しかったことで、精神的に追い詰められていたようです。豊田さんはパワハラが報じられた当日に離党したものの、『あまりに酷い』と県連や党本部に苦情が殺到する事態になりました。
3カ月の入院生活後に会見を開いて謝罪もしましたが、党本部はその姿勢を顧みることなく、2017年の衆院選では、豊田さんの選挙区に自民党が別候補を擁立しました。無所属として立候補した豊田氏は、立候補した5人中最下位で落選しています」
落選後はニュース番組のコメンテーターなど、主にメディアで活躍していた豊田氏。年金問題など特に厚生労働関連では、豊富な専門知識に裏打ちされた解説で好評を博していた。
8日の会見では、「8年前、本当に私は大きな失敗をいたしまして、本当に申し訳ない思いで、人生も壊して、ゼロからまたこうして、自分の至らなさ、未熟さを恥じて生きてまいりました」と、まずは謝罪。そして「今一度、日本の国のために少しでも、役に立つ可能性があるなら頑張りたいと決断した」と、入党の動機を説明した。
会見に同席した神谷代表は、「あくまで政策担当のスタッフだ」として、現時点で豊田氏の擁立の予定はないと説明している。
結党から食の安全を重要政策に掲げる参政党にとって、豊田氏が大きな戦力になるのは間違いない。しかし、冒頭のキャリア官僚はため息交じりにこう続ける。
「パワハラが報道された直後は『あの豊田さんが』と、豊田さんを知っている人間は驚いたものです。豊田さんは超が付く生真面目で、温厚な女性という印象でしたから。
議員になった後も偉ぶることなく、少なくとも私には変わらずに接してくれていました。その知見を活かして、民間から政策提言を続けてほしかったというのが今の正直な気持ち。やはり一度でも議員になると、その魅力には抗えないのでしょうね。
とはいえ、一度離党した自民党から再度立候補することは難しいでしょう。だから参政党へ、ということなのかもしれませんが、その安直な入党の動機が透けて見えるだけに、残念です」
どのように日本のために「役に立つ」のか大いに気になるところだ。