
小川晶市長の広報誌「きらきら通信」2011年秋号
市幹部職員の既婚男性とラブホテルで複数回“面会”していたことを「NEWSポストセブン」で報じられた、群馬県前橋市の小川晶市長。会見では、男性職員に「公私にわたる相談」をしたと認めた。
「討論に立った共産党市議は、『市行政のトップとして、自らの出処進退を早急に明らかにすることを求めるものです』と、辞任を迫りました。旧民主党の県議を4期務めた小川市長ですが、共産党は選挙戦を自主支援した事実上の与党。すでに市議団としても辞任要求の声明を出しています。
保守王国とされる群馬県の自民党系現職市長を破って1年と少し。前橋市議会では、いまだに市長派は圧倒的に少数派。不信任決議が出れば可決は間違いありません」
こう語るのは、小川晶市長が出席した26日の市議会本会議の最終日を取材した大手紙の県版担当記者だ。
この本会議では市議だけでなく、傍聴した市民からも進退を求める多数の声が上がったといい、辞任は不可避の情勢だという。前出の記者がこう続ける。
「密会していた市幹部職員はすでに降格処分を受けていますが、これまで市長と直接的に仕事をする関係だったといいます。もともと畑違いの部局にいましたが、小川市長になってから前職に就いたとも囁かれます。
小川市長は、もともと他人との距離が近い人だったようですが、この県職員とは特に親密だったという噂もありました。ただ、4期続いた前職市長を破ったわけですから、前市長派の職員にとっては面白くない存在でもあり、さほど信憑性のある噂とは捉えられていなかったようです」
小川市長は千葉県匝瑳市出身。出身地に近い中高一貫校から中央大学法学部を卒業後、司法試験に合格した才媛だ。しかし、2006年に司法修習生として前橋地裁に派遣されたこと以外は、群馬県との接点はなかったという。ところがなぜか、「研修で赴任してきたはずが、政界入りの意欲が最初から高かった」というのは、地元政界関係者。当時の小川市長の印象を語る。
「当時、小川さんは自民党入りを考えていたように見えました。修習生として、党青年局の会合にも顔を出していましたからね。しかし、当時の自民党群馬県連は、2007年に首相に就任する福田康夫さんを筆頭に大物議員がひしめき、先々の減区対策も含めて自民党には選挙区が足りない状況でした。
そこで、大学の先輩にあたる当時民主党の衆議院議員だった宮崎岳志さんを頼って民主党入りし、2011年には28歳で民主党公認で県議選に出馬します。ところが、当時は東日本大震災への対応を批判されるなど民主党政権には大逆風が吹き荒れていた。民主党系候補は苦戦を強いられましたが、同党が公認・推薦した新顔6名の候補者で、唯一の当選者が小川さんだったんです。群馬県連の重鎮で元参議院議員の故・角田義一さんは『民主のジャンヌダルク・晶ちゃん』と呼んで可愛がっていました」(同前)
県議になった小川市長は民進党に移る。さらに2018年の「希望の党騒動」で、希望の党には見向きもせずに無所属を選択した。実際人気は抜群で、2019年と2023年の2回あった県議選ではそれぞれ、無所属候補でありながら2位と1位で当選しているのだ。
その原動力の一つが、県議に初当選した2011年から発行していた後援会向けの会報「きらきら通信」だったという。
「さすがに県議会ではスーツ姿でしたが、普段はフワっとしたワンピースを着るなどフェミニンな服装が多い方です。それでいて弁護士でもあるわけで、政治家として人気があるのは当然と言えば当然。ただこうした服装は、計算してのことというよりも、率直にご本人の趣味なんだと思いますよ。『きらきら通信』の表紙は毎回、小川さんのポートレート。小川さんの着物姿も定期的に掲載されており、さながらアイドルのフォトブックのようです(笑)」(同前)
前橋市職員は、すでに小川市長の辞任後の対応について「次の動き」と隠語で呼び、必要な措置の検討を始めているともいわれる。果たして、“前橋のアイドル市長”はどのような結末を迎えるのか――。