
首相就任直前の1994年6月の本誌取材で、眉毛に櫛を当ててくれた村山富市さん(写真・佐々木恵子)
2025年10月17日、惜しくも亡くなった元首相・元社会党委員長の村山富市さん(101歳没)。村山政権で科学技術庁長官を務めた田中眞紀子元外相が明かす、“わたしだけのエピソード” とは――。
「村山先生と初めてお会いしたときのことは、鮮明に覚えています。1994年の村山内閣が発足する直前で、私は初当選してまだ11カ月でした。
議員会館にあった地下道で、村山先生と後藤田正晴先生が立ち話をしているところに出くわしました。後藤田先生が大きな声で、『社会党内閣で風当たりが強いから、田中眞紀子を閣僚に入れればいい。あの人を入れておけば、世間の目がそっちに向く』と言うのが聞こえてきました。後藤田先生は私に気づいて『あ、いた!』なんて驚いていましたが(笑)。
まもなく村山先生ご本人から電話がありました。『あんた、非常に重たい荷物を背負う覚悟がありますか?』。私が『あります』と即答すると、『えーっ!? まだ何もしゃべっとらんよ。意味わかっとる?』と面食らっておられました。立ち話を聞いていましたからね。科学技術庁長官に抜擢していただいたのが、私の閣僚としてのスタートです。
村山先生は、本当に懐ろが深く、ユーモアもある方でした。『わしのこと、目白(田中角栄邸)の庭番の爺やぐらいに思ってるんじゃろ?』なんて、あの長い眉毛を震わせて笑っておられました。『当たり!』と言いそうになりましたけど(笑)、それくらい権威ぶらない、裏表のないお人柄でした。
でも、ただ優しいだけではなく、筋を通す方でした。私が国会答弁で官僚の作文を読まずに自分の言葉で話したとき、大臣室で、ある役人が『議事録から消してやる』と言い放った事件がありました。
それを知った村山総理は、『閣僚の発言を役人が消すとは、内閣に対する侮辱だ』と激怒し、その高官を即座に更迭されたんです。『あんたはのびのびやりなさい』と、私を守ってくださいました。
総理を辞められてすぐのころ、大分のご自宅にお邪魔したのが最後になりました。もっとお会いして、お話ししたかった。私を信じて引き立ててくださった村山総理は、生涯を通じての恩人です」
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