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【独自】菅直人元首相、夫人が明かす「認知症」「要介護3」の現在…東日本大震災のことは「覚えていない」家族と過ごす穏やかな日々

社会・政治 記事投稿日:2026.01.08 06:00 最終更新日:2026.01.08 10:34

【独自】菅直人元首相、夫人が明かす「認知症」「要介護3」の現在…東日本大震災のことは「覚えていない」家族と過ごす穏やかな日々

政界引退を表明した2023年10月、本誌取材に応じた菅直人元首相(写真・長谷川 新)

 

「菅は今、“涅槃” に入ってるんですよ。わかりますでしょ?」

 

 1月4日の昼下がり、私(及川健二)は東京・多摩地域にある「エコカンハウス」と呼ばれる菅直人首相(79)の自宅を訪れた。応対した伸子夫人(80)はそう言うと、居間に通してくれた。

 

 小笠原諸島にルーツを持つという黒猫と、トラ猫というほどには毛色が濃くない猫が迎えた。私は正月のお祝いも兼ねて、先の大戦で爆心地から300m先にあった長崎医科大学付属医院で被爆した永井隆医師の書のレプリカをプレゼントした。

 

 石破茂前首相が、2025年の長崎でおこなわれた平和式典で引用したことでも知られている。伸子夫人は、永井医師が自ら被爆者でありながら、医療に献身したことをご存じだった。

 

 20年近く菅氏と交流がある私はこの日、尋ねたいことがあった。最近、永田町界隈で「菅さんが認知症である」という噂が広まっているのだ。菅氏とは、2023年12月におこなわれた武蔵野市議補選のときに話をしたが、屈託のない笑顔を見せ、口調も元気そのものだった。

 

 それから2年ほどしかたっていないのだから、にわかには信じがたい。だが、菅氏が “涅槃(煩悩がなくなった、悟りの境地)に入った” という伸子さんの冒頭の証言は、いささか冗談めかしたものであったが、それを裏づけているのだろうか。

 

 私はフランスに4年間留学した経験があり、伸子さんはパリ5月革命(1968年)という歴史的な時期に短期留学しているから、“フランスつながり” で話が合う。この日も、長崎やフランスについて、話が尽きなかった。

 

 伸子さんと30分くらい話したころであろうか、奥の部屋で休んでいた菅氏が笑顔で姿を見せた。杖こそついているものの足取りはたしかで、表情や見た目も最後に会ったときとほとんど見分けがつかない。元気そうに見えた。

 

 ちょうど、伸子さんが私に抹茶を点ててくれるところで、それを見た菅氏は「俺も飲みたいな」と言って、お茶の時間になった。菅氏は部屋着姿だが、髪はしっかり整えられてひげも剃られており、ずっとニコニコしている。

 

 ところでこの日、私はISSEY MIYAKEの服を着ていた。それを選んだのは、菅氏の政治的原点である故・市川房枝さんとゆかりがあるからだ。伸子さんに「じつはこの服……」とブランド名を伝えると、すぐに察して「三宅一生さんは、市川先生をモデルにされた方よ」とフォローしてくれた。

 

 すると、菅氏は誇らしげな表情を見せ、こう語った。

 

「市川先生を1974年に擁立したんだ。すでに81歳だった。それでも、87歳まで任期をまっとうしたんだ。すごいだろう?」

 

 まるで、最近のことのように話す菅氏は「伸子、もう一杯頼む」と笑顔で抹茶をおかわりし、ひと口サイズの羊かんを2つ、おいしそうに頬ばる。食べ終えると「伸子、戻るからな」と、再び奥の部屋に入っていった。

 

 菅氏との面会時間は15分ほどだったが、表情は穏やかで、話すスピードは少しゆっくりだが口調はしっかりしており、とくに心身の不調は窺えなかった。

 

 その後、「菅の資料室があるんだけど、見ていかない」と、伸子夫人は2階の一室に案内してくれた。3畳程度の小さな部屋には、背丈くらいの本棚が6つ並び、本が200冊ほど収納されている。棚の目立つところには、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の単行本が揃いで収まっていた。2人の息子のうち長男の源太郎氏(現武蔵野市議)の名前は、この作品の登場人物から取られたという。

 

 ほかに目につくのは、チェルノブイリ原発事故など、原発の専門書群だ。「東日本大震災のときは、東京を含めて、東日本に人が住めなくなるかもしれなかったのよ」と伸子さんは語る。

 

 当時、巨大津波に襲われメルトダウンし、水素爆発を起こした福島第一原子力発電所は制御ができなくなった。東京電力は現地から撤退する方針を示したが、理系で原発にも精通していた当時の菅首相は東京電力に乗り込み、経営陣を怒鳴りつけて撤退をやめさせたのだ。

 

 蔵書のなかには、フランスの故・ミッテラン元大統領や、2025年に刊行されたばかりのドイツ・メルケル前首相の回顧録もあった。見ている私に、伸子さんが解説してくれた。

 

「菅は世界の指導者に興味がありましてね。ミッテランさんは私が好きなんです。大統領就任した後の記者懇談会で、婚外子がいることを問われて『それがどうしましたか?』と切り返したでしょう。菅が女性スキャンダルを問われたとき、『私に会見させて!』と言ったんですよ(笑)」

 

 と、ちょっぴり悔しそうな伸子さん。資料室の壁には、1996年に菅氏が厚生大臣として薬害エイズ被害者、遺族、支援者に謝罪している写真が大きく飾られていた。

 

 当時、薬害エイズの資料について厚生省は「見つからない」と主張していたが、菅氏は調査委員会を作り、厚生官僚たちに調査項目、調査対象者を割り振った。自分のところに資料があって隠した場合、発覚しようものなら省庁を追われる、というわけだ。

 

 結果、薬害エイズの資料が続々と発見され、事件は真相究明への道筋をつけた。このことは菅氏の功績であり、本人にも強い自負があったのだろう。

 

 伸子さんとその後も話していると、源太郎氏と2人の孫が訪れ、遊ぶ声が聞こえてきた。それでも伸子さんは私の話し相手をしてくれていたが、いったん部屋を離れて戻ってくると、問わず語りにこう話し始めた。

 

「じつは、菅は要介護3で認知症が始まって……。2025年の7月1日には足のくるぶしを骨折して、入院していたの」

 

 要介護3とは、日常生活において全面的な介護が必要になり、認知機能の低下などの症状も多く見られる状態を指すという。私は「やっぱり噂は本当だったのか」と驚いたが、レーガン元米大統領、サッチャー元英首相、シラク元仏大統領も認知症になり、晩年を過ごしたことを伸子さんに伝えた。

 

 伸子さんは、「シラクさんもですか?」と聞き返した。私は、シラク氏が2019年に亡くなった際、そのご息女にメールを送ったことがある。「父が愛した国からお手紙が来て、当人も喜んでいるでしょう」と返信が来た。世界のリーダーも、最後は一人の人間として記憶や役割を少しずつ手放していくのだろう。伸子さんが続ける。

 

「今までは政治の手伝いだったけど、これからは介護をしていかなくちゃね。でも、今年は東日本大震災から15年だから、取材依頼がいくつも来ているの。ただ、菅はもう何も覚えてないから、それが困っちゃって……」

 

 すでに、外は暗くなり始めていた。首相として、また最大野党の党首として、常にファイターだった菅氏。今ようやく、家族と過ごす穏やかな日々を送ることができているようだ。

 

「いずれ公表しようと思っていたことです。好きに書いてください」

 

 後日、私がお礼と記事執筆の許諾をもらうため連絡を入れると、伸子さんはこう答えた。その声は、電話越しでも力強かった。

 

取材/文・及川健二

 

おいかわけんじ 1980年生まれ 日仏共同テレビ局「France10」記者。国営放送などフランス語圏メディアに記事・写真・動画を配信している

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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