
落合信彦
2月1日朝、国際ジャーナリストで作家の落合信彦氏が老衰のため、亡くなった。84歳だった。
落合氏は、国際情勢を題材にしたノンフィクション作品や小説などを数多く発表し、1987年にはアサヒビールから発売された「スーパードライ」の初代テレビCMキャラクターに起用され、一躍、時の人となった。
息子で筑波大学准教授の落合陽一氏は1日、自身のSNSで父について、《ここ数年体調を崩しておりまして、病院に入院することもしばしば》などとつづり、1月31日の夜に救急車で運ばれ、友人と家族に見守られながら亡くなったことなどを伝えた。
1日、父の訃報をXに投稿した際の〈落合信彦 逝去のお知らせ〉の文面には、「喪主:落合陽一(長男)」と記されていたが、もうひとり長男がいる。
落合氏は前妻との間に、男2人、女1人の3人の子どもをもうけている。落合氏と離婚した前妻は、長男を除く、次男と長女を連れ3人で渡米。米国で暮らしていた時期もあったが、その後、帰国している。
落合氏の訃報を受け、映像制作関連の仕事をしている長男(50)が、本誌に追悼文を寄せてくれた。
《長男である私が、父信彦の死を知ったのはネットニュースでした。
もう20年ほど連絡を取っていなかったのであまりショックは受けていません。
世間では「国際ジャーナリスト」だったり「昔ビールのCMに出ていた人」、「なんか本を出している作家」と認識されているかもしれませんが、私から見ると酔っ払うと演歌のレコードをかけて踊る父、暇だとパチンコに行く父、とどこにでもいるおじさんでした。著書を一冊も読んだ事が無い事も理由の一つかもしれません。
そんな父でしたが振り返ってみると私と父の関係は少し歪だったかもしれません。
子供の頃はあまり父と会わない生活でした。仕事に専念すると言い、東京・荻窪の家とは別に千駄ヶ谷のマンションに仕事場を借りていました。家に来るのは週末のみ。金曜か土曜の夜に帰ってきて日曜の夜には仕事場へ帰っていく。実際、家にいる時間より仕事場にいる時間の方が長いので「帰る」という表現が合っていると思います。
私はいつの間にか、週末に帰ってくる父に対して苦手意識を持っていました。親というより「親戚のうるさいおじさん」に近い感じ方でした。
父親らしいことなどほとんどした事がなく、キャッチボールは片手で数える程度しかしていません。子供がいるから父親を演じ義務を果たそうとしているように見えました。
そんななか印象的だった出来事がありました。小学生の頃、私の作ったプラモデルが町内の模型店で開催していたコンテスト4年生の部で1位を取りました。ショーウィンドウに展示されていたので急いで家に帰り家族に伝えると父が一緒に店まで来て展示されている私の作品を眺めながら「すごいな!」などと言っていました。私は勉強ができない方で、あまり褒められた事がなかったので特に記憶に残りました。
私が中学3年生の頃、父と母が離婚をしました。父は千駄ヶ谷の仕事場を引き払い赤坂のホテル住まいになり、これまで以上に会う機会が減っていたと思います。
たまに会っても食事をしながらたわいも無い話をするだけでした。
最後に会ったのも赤坂のホテルで「再婚する」と伝えられました。今から20年ほど前のことです。再婚後は家を買い新しい家族と一緒に住んでいると聞き、血のつながった家族とは住めないのに凄いな、と感じ関わりたくないとの思いから疎遠になったのです。
良くも悪くも知名度があったので父を大きく見ているファンの方もいたかもしれませんが、私から見ると父はとても繊細でプライドが高く、それだけに人と会う時は自身を大きく見せようとしているんだなと感じていました。そういう意味ではとても人間臭かったのかもしれません。
私も50歳となり、父と久しぶりに会って話したいと思っていました。離婚した当時何を考えていたのか、子供に対してどう感じていたのか、聞きたかったのですがついに叶うことはなくなりました。
私から見ると家族に縛られず、自身の思うように生きた人生だったので満足したのではないでしょうか。
今はゆっくり休んでください。
2026年2月4日》
落合氏の通夜および葬儀・告別式は近親者のみにて執りおこなわれ、後日、故人を偲ぶ「お別れの会」が開かれる予定だという。
落合氏は天国で、前妻と3人の子どもたちのことをどう思っているだろうか。
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