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「伝説の組長」後藤忠政氏の葬儀に200人超の参列者…除籍から18年、六代目山口組竹内照明若頭も参列“異例の手厚い弔意”

社会・政治 記事投稿日:2026.02.21 06:00 最終更新日:2026.02.21 06:00

「伝説の組長」後藤忠政氏の葬儀に200人超の参列者…除籍から18年、六代目山口組竹内照明若頭も参列“異例の手厚い弔意”

葬儀場に飾られた、後藤忠政氏の遺影。菊の花が富士山型に並べられていた

 

 2月16日、静岡県富士宮市にある葬儀場で、「伝説の組長」といわれた後藤忠政氏の葬儀が執り行われた。2月8日に後藤氏死去の一報が流れると、ヤクザ界に激震が走っていた。

 

「後藤さんは山口組をここまで大きくした功労者で、関東進出の先兵だった。一つの時代が終焉したことを感じる」

 

 こう語るのは、ある暴力団関係者だ。

 

 後藤氏率いる後藤組は、1969年に設立された。組長であった後藤氏は、五代目山口組時代に若頭補佐として執行部の一角に昇格し、六代目山口組では舎弟に直っていた。だが、2008年に、自身の祝宴のために本部定例会を欠席したとして除籍処分となった。これを機にヤクザを引退し、後藤組は解散した。

 

「後藤組は、もともと四代目山口組組長をめぐる『山一抗争』で、相手側にトラックで突っ込む“トラック特攻”で名を馳せた。渋谷区の雑居ビルをめぐる事件で殺人事件に絡んだり、映画監督の伊丹十三襲撃事件で組員が逮捕されるなど、武闘派ヤクザとして知られ恐れられていた」(前出・暴力団関係者)

 

 一方で、「経済ヤクザ」としても名を馳せていたのが後藤氏だ。

 

「様々な事業に絡んで豊富な資金を得て、一時は日本航空の筆頭株主として名前が出たこともある。オウム真理教の山梨や静岡への進出に絡んでいたと囁かれたこともある。その豊富な資金を背景に芸能界にも人脈を広げていた。ヤクザの全盛期に最も成功したのが後藤氏だった」(同前)

 

 引退後は表舞台から退いたかに見えたが、その動向は常に注目の的だった。

 

「引退した2年後には『憚りながら』という自叙伝を出し、ベストセラーになった。またカンボジアに拠点を移し、現地で養鶏場を経営したほか、学校建設にも寄与し、カンボジア政府から爵位の称号を授与されている。

 

 後藤さんは2016年に日本に帰国したが、当時は山口組の分裂抗争が勃発したばかり。ヤクザ界では、神戸山口組側につくのではないかと警戒されたこともあった」

 

 最期まで動向が注目された後藤氏の葬儀は、盛大なものになった。会場周辺には、警察官も警戒に当たった。ヤクザ界に詳しいジャーナリストはこう話す。

 

「後藤氏は引退して18年経つので、あくまで一般人としての葬儀となりました。参列者の中には子供や女性も多く、後藤氏が普及に寄与した土佐犬の関係者も多く参列していたようです。会場内には後藤氏と夫人が土佐犬とともに描かれた、高さが2m以上ある油絵も飾られていました。女性演歌歌手などからの供花が並びましたが、組関係者からの供花は個人名以外はほとんどありませんでした」

 

 もっとも、ヤクザ関係者の参列者も少なくなかった。この日、六代目山口組竹内照明若頭も葬儀のために富士宮を訪れたのだ。ある警察関係者はこう話す。

 

「竹内若頭は、司忍組長の名代として参列したようです。六代目山口組傘下弘道会の野内正博会長も同行していました。後藤組は解散していますが、後藤組の流れを汲む良知組と藤友会という二つの六代目山口組の直参組織があり、葬儀を仕切っていたのは彼らだったようです。それに、六代目山口組の東海ブロック、中京ブロックの面々も参列しており、六代目山口組としては最大限の弔意を示したということでしょう。

 

 除籍された人物に対して、異例の好待遇だったと思います。しかも、後藤氏に直接除籍処分を下した髙山清司相談役は、葬儀の前日に弔問に訪れていたようで、除籍時のわだかまりはなかったとみられています」

 

 竹内若頭の滞在時間はわずか5分。弔問を済ませると、通夜が始まる前に帰路に就いた。この日200人以上が参列したという祭壇は、富士山を模した菊の花で飾られていた。最後まで富士宮にこだわった、後藤氏らしい祭壇だった。

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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