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【日航機墜落事故】「私が少女を救助した」ニュースサイトでの“陸自空挺団員”証言に元陸幕長が「あり得ない」…配信元は「削除を検討」

社会・政治 記事投稿日:2026.04.27 06:00 最終更新日:2026.04.27 06:00

【日航機墜落事故】「私が少女を救助した」ニュースサイトでの“陸自空挺団員”証言に元陸幕長が「あり得ない」…配信元は「削除を検討」

救出される少女と、元陸上幕僚長の岡部俊哉氏((写真・毎日新聞社/アフロ、共同通信)

 

 1985年の夏、日本航空123便が群馬県の御巣鷹山に墜落し、世界の航空事故史上、単独機では最悪となる520名の犠牲者を出した。この大惨事から40年を迎えた昨夏、新聞・テレビが、あらためて当事者たちに話を聞いて追悼した。

 

 なかでも「集英社オンライン」の報道が注目を集め、インタビュー記事として同メディアの年間第1位に選ばれた。

 

 タイトルは、『〈日航機墜落事故から40年〉生存者を救出した自衛官が初めて語る現場の地獄絵図「自分は屈強だという自信がもろくも崩れ去った瞬間でした」』(2025年8月12日)。

 

 語ったのは、《元陸上自衛隊・第1空挺団の相田さん(64歳、仮名・当時は24歳)》。

 

 相田氏が所属していたという第1空挺団(習志野駐屯地)は、陸上自衛隊唯一の落下傘部隊だ。相田氏は当日の夜に事故の第一報を聞いて、翌朝、ヘリコプターで現地入りした。悲惨な状況を目の当たりにしてストレス障害を発症、20代後半で退官し、その後長く苦しんだ。これまで取材はいっさい断わってきたが、《「ようやく語る気になった」》として、初めて口を開いたという。

 

 この大惨事でもっとも有名になり、希望を抱かせたシーンは、生存者4名のうちの1人である当時12歳の少女が救出され、自衛隊員に抱えられながら、ホバリングするヘリコプターに吊り上げられる姿だろう。

 

 この自衛隊員は、第1空挺団で「ミスター空挺」と呼ばれていた当時二曹の作間優一氏(故人)だった。

 

「相田氏」の証言が貴重なのは、作間氏と同じヘリに乗り、少女を機体の中から助け出したのは自分だ、と語ったこと。しかし、後にこの記事を読んだ当時の自衛隊員が口々に、「こんな奴いたか?」と疑義を呈しているのだ。

 

 一般の読者が読めば、相田氏の証言はリアルで苦悩も感じられる。たとえば事故当日の夜――。

 

《「19時近くの臨時ニュースで日航機が行方不明との第一報を知り『墜落なら海か』くらいの認識でした(略) だが、時間を追うごとに(略)駐屯地の空気は張りつめていく(略)相田さんは深夜に当直室に行く。「おそらく防衛庁長官からの命(めい)が下るはず(略)と聞きました」》

 

 この証言について、元陸上幕僚長の岡部俊哉氏が語る。岡部氏は当時、第1空挺団空挺普通科群・第3中隊(群3中)の小隊長として、作間氏以下11名の隊員を指揮し、ヘリで現場に入った当事者である。

 

 作間氏と同じヘリに搭乗したのであれば、岡部氏が所属する群3中の隊員であり、岡部氏の指揮下で行動した者となる。

 

「あの夜は定期異動後の歓迎会が開かれ、皆、隊員クラブ(駐屯地内の飲食スペース)で飲んでいました。私が事故を知ったのは、泊まることを伝えるために当直室へ行った21時ごろ。当直幹部であった作間二曹に、待機命令も出ていないことを確認して就寝し、始動したのは翌朝4時過ぎ。作間二曹は、『防衛庁長官から命が下るはず』などと言っていないのです」

 

 相田氏のこの証言の下に掲載された写真には、相田氏の首から下を写した姿の前に、青い帽子が象徴のように置かれている。

 

「写真の帽子は、空挺教育隊の教官と助教がかぶる識別帽です。教育隊は御巣鷹山に派遣されていませんし、そもそも20代半ばで教官や助教になることはなく、当時の群3中で、後に助教になった隊員は聞いたことがありません」(岡部氏)

 

 きわめつきは、少女を救出した際の証言だ。

 

《消防団が『自衛隊さん、声がします』と叫んだので駆け降りました。機体の下から確かに声が聞こえる。(略)上官が「相田、志願ご苦労!」と叫んだことにより、相田さんが中に入ることに。「機体の内部を照らすと座席が上側にあり、首のないご遺体の胴体だけが垂れ下がっている(略)12歳の少女は短髪であったため、男の子のように見えました(略)とにかくその子を安心させたくて『(略)大丈夫だよ、一緒に帰ろう』と」》

 

 岡部氏が話す。

 

「私たち群3中は、尾根中腹にヘリから降下した後、5m間隔で並び、上方へ向かって捜索しました。生存者が見つからない場所まで登りきったころに、『生存者発見』を無線で知らされ、降下地点に戻るよう指示されたのです」

 

 生存者4名は、岡部氏らが登っていた地点から100m以上下ったスゲノ沢で見つかった。機体は尾根に墜落して炎上、機体後部だけが斜面をずり落ちたためだが、尾根の上方にいた群3中の隊員に消防団の声が聞こえることも、スゲノ沢まで駆け下りたことも、あり得ないのだ。

 

 12歳の少女がヘリに収容されたときのことを、相田氏はこう語っている。

 

《報道のヘリが好き放題飛んでおり(略)「あの報道のヘリは邪魔以外に他なりませんでした。別の女性生存者を救出した後、毛布に包んでいたのに、その毛布をひっぺがして写真を撮ったカメラマンもいました」》

 

 毛布を剝がされたのは「別の女性」ではなく、当の12歳の少女だった。

 

 このほかにも、現場へ入った自衛隊員としては違和感のある証言が散見される。その上、吐いてしまったことを意味するという「ランチ」、空挺団OBを指すらしき「傘友」など、群3中や空挺団では聞かれない言葉が使われている。

 

 相田氏にインタビューをおこなったライターの河合桃子氏は、積水ハウスが55億円を騙し取られた地面師事件の実行犯の1人に取材し、2025年12月、第32回小学館ノンフィクション大賞を受賞した。

 

 集英社オンライン編集部に相田証言の真偽について聞くと、こう回答した。

 

「ご指摘の内容をもとに検証を進めたところ、編集部の取材に不備があり、取材対象者の証言内容に信ぴょう性が低いと判断し、削除することを検討しております」

 

「相田氏」の正体も、“証言”をおこなった目的も、どこまでが創作なのかも謎だ。だが、犠牲者、遺族、自衛隊員らに対する冒涜にほかならないだろう。

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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