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オウム真理教・麻原彰晃らの「死刑」はどのように執行されたのか

社会・政治 投稿日:2018.07.12 16:00FLASH編集部

オウム真理教・麻原彰晃らの「死刑」はどのように執行されたのか

 

 7月6日、オウム真理教の元代表である麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚はじめ、7名の元教団員の死刑が執行された。

 

 麻原死刑囚は、13人の死者と6000人以上の負傷者を出した「地下鉄サリン事件」(1995年3月)をはじめ、「松本サリン事件」(1994年6月)、「坂本堤弁護士一家殺害事件」(1989年11月)といった一連の事件において、27人もの命を奪い、2006年に死刑が確定。

 

 現在までに、幹部・信徒ら192名が起訴されており、このたび死刑が執行された7名のほか、6名の元幹部の死刑が確定している。

 

 

 それにしても、死刑はいったいどのような手順で執行されるのだろうか。

 

 作家・坂本敏夫氏の著書『元刑務官が明かす 死刑のすべて』(文藝春秋)によれば、死刑執行の基本手順はこうだ。

 

(1)死刑執行命令が刑事局で起案され、関係部局でチェック
(2)大臣官房、事務次官、副大臣のチェック。起案文書に押される印鑑の数は30を超える
(3)法務大臣の最終決裁により、命令は高等検察庁を経由して死刑場に届けられる

 

 死刑場は高松を除く高等裁判所の所在地の拘置所または刑務所に設けられている。処刑方法は絞首刑で、検事と所長、さらに僧侶などが立ち会い、医師が死亡を確認する。

 

 かつて、坂本氏は本誌の取材に答え、死刑執行当日を再現してくれている(2010年9月14日号)。以下に、再掲載する。

 

 

 午前7時に起床。点検の後、麦飯、味噌汁、味付け海苔、生卵の朝食をA死刑囚は全量食べた。Aは今日が死刑の執行日だということをまだ知らない。

 

 8時、刑務官らがそれぞれの配置についた。3人の刑務官がAの独房前に行き、扉を開けた。「残念ですが、お別れのときがきました」。突然の呼び出しにA死刑囚は狼狽し、大声を出して暴れる。

 

 Aは今日が執行日だということを初めて知らされる。なかには腰を抜かして動けなくなる者や、気絶する者もいるという。騒ぎが舎房内全体に広がらないうちに、素早く連れ出すことが大事だ。

 

 8時15分、刑務官に抱えられるようにして、A死刑囚は教誨(きょうかい)室に入れられた。中には教誨師、所長、処遇部長などのほかに立ち会いの検事、検事事務官らが待っている。正式な死刑執行命令が到着し、所長が執行宣言を下す。

 

「ただいまから刑を執行する」

 

 Aの前にペンと紙が置かれた。ここで遺書を書くことができるが、Aはすでに舎房内で遺書をしたためていたため辞した。供物の果物、お茶とお菓子を差し出されることもあるという。

 

 8時40分、教誨室を出ると、A死刑囚はいよいよ前室へ連れていかれる。

 

「担当さん、長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 

 Aは90度近く頭を下げた。

 

「あとのことはちゃんとしてやるから、心配するな。奥さんにも立派に逝ったと伝えてやる」

 

 Aの目から涙がしたたり落ちた。
 Aはここで教誨師に “最期” の言葉を発した。

 

「先生、被害者の方たちの魂をお救いください。お願いします」

 

 教誨師が答える。
「よく言えたな。お別れだ」

 

 8時50分、刑務官3人がAを取り囲んだ。両手を体の前に伸ばし、手錠が掛けられ、さらに目隠しをされた。所長や検事らは立会室へ移動し席に着く。

 

 執行室と前室とを遮っていたカーテンが開けられ、Aは抱きかかえられて、ロープの真下に立った。すかさず膝の下を縛る。

 

「歯を食いしばっておけよ。心の中で経を唱えればいい顔で死ねる」

 

 執行官が話しかけながらAにロープを掛け、留め金を持って縛った。

 

 9時、ボタン室にいる3人の刑務官に向かって、指揮官が水平にした片腕を下におろした。「押せ!」という合図だ――。

 

 執行ボタンを押すのは3人で、同時にボタンを押すことになっている。3つのうち、どれが繋がっているかわからないよう配慮されている。

 

 こうして、Aの下の床が抜け、断末魔とともに地下階の天井から宙づりのようにぶら下がり、死刑が執行される。

 

 今回、7名の死刑が同時に行われたということは、この儀式を7回繰り返したということだ。麻原死刑囚は遺言の時間を拒否したというが、はたして、どんな思いを抱えて死刑台を上ったのだろうか。

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