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『あさが来た』の広岡浅子が「俗気を脱せ」と若者を叱る

社会・政治 投稿日:2016.02.28 13:55FLASH編集部

『あさが来た』の広岡浅子が「俗気を脱せ」と若者を叱る

写真:AFLO

 

 大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、『あさが来た』のモデル女性の人生から、現代にも通じる人生のヒントを探しだす。

 


 

 

 NHK朝の連ドラ『あさが来た』が絶好調だ。『あさが来た』は、明治・大正時代の女性実業家で、日本女子大の創設や、大同生命の創業に加わった広岡浅子(18491919)をモデルとするドラマ。役名は白岡あさで、波瑠が演じている。

 

 

 この広岡浅子が著した自伝の存在はあまり知られていない。

 

自伝の書名は『一週一信』(婦人週報社)。浅子が週刊誌に連載した短文と、短い自叙伝を巻頭に付けたもので、彼女の死の前年に刊行された。

 

 

 連載当時のペンネームは、九転十起生。苦難にも負けず人生を突き進んだ浅子にふさわしい「称号」だが、どこかユーモラスな感じがする。

 

 

 さて、肝心の本の中身だが、1911年、乳がんの克服をきっかけにキリスト教に入信した浅子だけあって、大半が宗教的信条を記したもの。しかし、その中に、現代にも通じる生き方のヒントが隠されている。

 

 

 たとえば「現代青年への警告」と題するコラム。「現代に理想の人物がいない」と言って、古い歴史書に人格者を見出そうとする若者に「俗気を脱せ」と喝を入れている。

 

 

 俗気とは、俗っぽい気持ち、一般人が持つ価値観とでも解釈しよう。浅子は言う。理想の人物がいないといって嘆くのは、イエス・キリストの偉大さを、当初は人々が知らず、冷遇したのと同じであると。そして、多くの人が持つ先入観や俗気(価値観)を脱した弟子たちは、イエスの素晴らしさを知ったではないかと。

 

 

 浅子のたとえ話を解釈すると、「現代にも素晴らしい人間はたくさんいる。周りの価値観に惑わされずに、自分の目で、今の世の中をよく見てみよ」ということだろう。

 

 

 今も昔も、人はとかくマスコミや世間の価値観に染まりがちだ。自分の眼で見きわめ、頭でトコトン考えることを諦めてしまわないようにと、浅子は言うのである。

 

浅子が説くビジネスの肝とは?

 

 

 続いて「敵は本能寺にあり」という文章。このコラムで浅子は、会社を組織する際の肝を述べる。その肝とは「奸悪(心がねじけて悪い)な人物は重要な地位に据えない」ということである。

 

 

「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、現代でも頻発する官庁や企業の不祥事を見れば、当然のことができない組織も多いのではないか。

 

 

 浅子は、いくら才能があって勉強ができても、真心がなければ人間はダメだと言い、真心のない人間は、社会に害を及ぼすと言う。

 

 

 会社で言えば、真心のない人間は、織田信長を裏切った明智光秀のように「敵は本能寺にあり」といつ牙をむくかわからないのだ。

 

 

「人生の二方面に現はれたる不具」には、自己のためならば、親族や恩師や親友でさえ犠牲にして屁とも思わない「やり手」(政治家や経済界の成功者)と、何を言ってもボンヤリしてノホホンとしている「お人好し」への嫌悪感が語られている。

 

 

 浅子は両者とも「国家社会の厄介者」と斬って捨てる。

 

 

 では浅子にとって、理想のよい生き方とは何か。ここでも彼女はイエスの言葉をあげる。「蛇のごとく慧く、鳩のごとく素直なれ」と。「賢く、そして素直」――いくら素直でも判断のできない「お人好し」では困るが、素直であれば吸収力も高く賢さは増す。これこそ浅子が勧める生き方であった。

 

 

 さまざまな分野に果敢に飛び込み、豪気な気性から「一代の女傑」と称えられた浅子。『あさが来た』で、あさを演じる女優の波瑠は、朝ドラのオーディションを過去3回受けて落選、4度めでヒロイン役を掴みとった。

 

 

 弱気になることもあったが「落ちて当然」と前向きに挑戦を繰り返して成功した姿は、浅子にも通じるものがある。

 

 

(著者略歴)濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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