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かつて日本にもいた官僚の鑑「ミスター通産省」の威風堂々

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.08.20 11:00 最終更新日:2018.08.20 11:00

かつて日本にもいた官僚の鑑「ミスター通産省」の威風堂々

 

 財務省の文書改竄・セクハラ、文科省の裏口入学、厚労省のデータ捏造など、官僚不祥事が相次いでいる。
 しかし、かつて日本には立派な官僚も数多くいた。

 

「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」

 

 

 作家・城山三郎の代表作のひとつ『官僚たちの夏』で、主人公の通産官僚が吐く台詞だ。小説には実在のモデルがいた。元通商産業事務次官の佐橋滋である。

 

 佐橋は1937年、通商産業省(現経済産業省)の前身である商工省に入省。戦後から1960年代の高度成長期の日本の通商政策を舵取りし、「ミスター通産省」と呼ばれた。

 

 生前の佐橋が「ボクのことはサタカ君の方がよく知っている」と認めたのが、評論家の佐高信氏である。その佐高氏が佐橋の功績を語る。 

 

「資本の自由化を控えた1962年には国際競争力をつける目的で『特定産業振興臨時措置法案(特振法案)』を立案しています。結局、廃案となりましたが、官民協調方式という政策は、その後の経済成長の根幹となりました。

 

 佐橋の頭に常にあったのは『公』の利益でした。今は政治家も官僚も『私』の利益ばかり求めているようにしか見えませんが」

 

 佐橋が語り継がれるのは、官僚らしからぬ人物像にある。 

 

「佐橋は『佐橋軍団』とか『佐橋天皇』などと呼ばれ、権力欲が強かったというイメージがあるが、会ったときの印象はそうではなかった。むしろ含羞(がんしゅう)の人でした。

 

 佐橋の通産省時代の部下の一人が、前大分県知事の平松守彦氏ですが、平松さんは佐橋を『部下に殉ずる人だった』と言っていました。

 

 部下がやることには口を出さず、最終的な責任は自分が取るという人だった。今は『政治家に殉ずる』官僚ばかりが目立ちますが、そこが佐橋とは大違いです」(佐高氏・以下同)

 

 そして上に対しては、言うべきことを堂々と物申した。

 

「当時の通商産業大臣は三木武夫(その後、首相)でしたが、佐橋は事務次官就任後も歯に衣着せぬ言動を続け『佐橋大臣、三木次官』とマスコミに揶揄されたほどです。

 

 佐橋には『大臣はいずれ変わる。官僚は変わらない。だから、官僚がしっかりしなくてはいけないんだ』という強い思いがあったんですね」

 

 佐橋は大臣と政策で争い、首を切られる寸前で撤回させたことがある。相手は第二次岸内閣で通産大臣を務めた高碕達之助だった。

 

「佐橋は『どっちが正しいか、自分が記者会見して国民に審判を仰ぐ』と迫ったんです。それで高碕が引いたわけですが、当時は政治家も官僚の苦言を聞き入れる度量があった。

 

 今の官僚は政治家にたてついたら終わりですから、せいぜい『面従腹背』で抵抗するしかないわけです」

 

 佐橋が余暇開発センター理事長に就任したのは、退官から6年後。天下りとも無縁の男だった。

 

(週刊FLASH 2018年6月19日号)

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