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「皇室ウオッチャー」どうしてその職についたのか聞いてみた
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.09.17 06:00 最終更新日:2018.09.17 06:00
皇室ジャーナリストは数多くいるが、63年間も皇后陛下を追ってきたのは、渡邉みどり氏だ。20歳のころ、読売新聞が主催する「はたちのねがい」という論文コンクールに投稿した。
「私は落ちましたが、2位に入賞したのが美智子さまでした。しかも、賞金を都内の恵まれない子や大学に全額寄付された。そこまで考えている学生がいるのかと驚きました」
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その後、渡邉氏は日本テレビに入社。2年後の婚約発表で、あの学生が美智子さまだったとすぐにわかったという。
「毎日のように、皇后さまのニュースを報じていました。私の運命でした」
昭和天皇が崩御されたときの特番では、総責任者を務めている。1990年に退職した後は、文化学園大学で教鞭をとりながら、フリーの皇室ジャーナリストとして活動している。皇室に関する著書は40冊を数える。
「『国民と天皇に無償で尽くす』のが、内親王のあるべき姿だと思います。一般人になられても実践されている黒田清子さんは、2017年から伊勢神宮の祭主をお務めになるなど、女性皇族のお手本といえるでしょうね」
■久能靖氏
日本テレビでは、キャスターとして『おもいッきりテレビ』『ザ・ワイド』などのニュースコーナーを担当してきた久能靖氏も著名だ。皇室に関する著書は多い。
「現在、天皇陛下の国事行為の代行が必要なときは、皇太子殿下がしていらっしゃる。さらに秋篠宮さまも代行されます。ところが、秋篠宮悠仁さまがいずれ即位されたとき、お一人では国事行為を代行する方がおりません。だから私は、女性宮家の創設が必要だと思います」
■山下晋司氏
宮内庁職員として23年間、皇室をそばで見続けてきたのが山下晋司氏。宮内庁退職後は、皇室関係のテレビ番組への出演、書籍の監修などをおこなっている。山下氏も、将来の皇室のあり方について案じている一人だ。
「女性宮家という言葉が出たのは野田内閣のときでした。6年以上たちましたが、議論は進んでいません。まずは、結婚により皇籍を離脱された女性皇族に、皇室の仕事を手伝っていただくことから始める。30年、50年先のことを見据えて議論を進めるべきではないでしょうか」
■近重幸哉氏
1988年に「女性自身」(光文社)の記者になり、皇太子殿下が過ごされた軽井沢の夏のご静養の密着が、近重幸哉氏の初めての皇室取材だった。
その後、昭和天皇崩御、秋篠宮さまや皇太子殿下のご結婚などが続き、皇室専門に。
「当初、華やかなイメージだった美智子さまが、献身的に災害の被災者やハンセン病患者に接するお姿を見て感動したんです。それ以来、皇室専門でやろうと思いました」
わたなべみどり
1935年6月11日生まれ 東京都出身
くのうやすし
1936年2月13日生まれ 千葉県出身
やましたしんじ
1956年12月27日生まれ 大阪府出身
ちかしげゆきや
1961年6月13日生まれ 広島県出身
(週刊FLASH 2018年8月7日号)