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夫は聞き流すばかり…「昭恵夫人は絶望している」とジャーナリスト
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.09.23 11:00 最終更新日:2018.09.23 11:00
「主人にも、何度か意見を言ってきましたが、見直されない。非常に歯痒い思いをしてきました」
2015年3月15日、安倍昭恵夫人(56)は、仙台市で開催された「国連防災世界会議」で、こう思いを吐露していた。昭恵夫人の活動を取材し続けてきたジャーナリスト・横田一氏はこう話す。
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「昭恵夫人は東日本大震災後、脱原発や防潮堤建設阻止運動などの活動に関わってきました。気仙沼市大島での防潮堤建設計画は、見直しに成功して、高さが低くなった。
しかし、多くの被災地では、海が見えなくなるほどの巨大な防潮堤建設が進みました。防潮堤、脱原発ともに、夫の安倍首相に言っても聞き流されるだけだったのです。
しかも首相は第2次政権発足後、経産官僚を要職に抜擢し、原発推進政策をとっています。次第に、絶望感を口にするようになっていきました」
横田氏が昭恵夫人と初めて会ったのは、2012年8月。山口県・上関原発建設に対する激しい反対運動が続いていた祝島だった。環境学者の飯田哲也氏から、「昭恵夫人と祝島に行く」と聞き、同行したのだ。
「現地で昭恵夫人に、飯田氏との対談を提案して、快諾していただきました。昭恵夫人からは、『飯田さんと自民党のパイプ役をやりたい!』との意気込みを聞きました」
昭恵夫人の行動が、脱原発や防潮堤の問題への注目度を高めたと横田氏は評価する。
「昭恵夫人は、自民党の政策に批判的な人とも、すぐに意気投合していました。持ち前の『天然キャラ』がそうさせるのでしょう。参加した集会での決まり文句は、『夫に伝えます』でした」
だが、森友学園問題の発覚後、一変したという。
「連絡が取れなくなりましたし、関わってきた問題についての発言もしなくなった。首相の側近が釘を刺しているのかもしれませんが…」
さらに、こう苦言を呈する。
「もともと昭恵夫人は、熱心に関わる問題がころころ変わるなど、波がある人だなと思っていました。ですが、今からでも遅くありません。脱原発や防潮堤見直しの活動へ戻り、継続的に取り組むべきです。彼女は人とワイワイお酒を飲むのが好き。このままでは、その口実に利用していただけと言われかねません」
(週刊FLASH 2018年9月11日号)