建国70年を迎えた北朝鮮。共産主義国でありながら、3代にわたって最高権力者が世襲される不思議な国は、核開発をカードに世界を振り回す。
「北朝鮮は、追い込まれると譲歩する。でも譲歩しながら噓をつく。この行動パターンの繰り返しなのです」(麗澤大学客員教授・西岡力氏)
1994年、米クリントン政権は、北朝鮮の寧辺核施設への先制攻撃を本気で検討した。
「北朝鮮は追い込まれて、金日成が『原子炉を止める』と譲歩した。自分たちで開発した原子炉を止めるのだから、大きな譲歩です。だが一方で『原子炉を止めるカネ』を要求した。
それでKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が設立され、プルトニウムを抽出しにくい軽水炉を2基作ることになったわけです。約45億ドルかかるとされたのですが、アメリカはカネを出さない。そのとき村山富市政権が約10億ドルを支出すると合意してしまった」(西岡氏)
だが北朝鮮は満足しない。
「軽水炉が完成するまで、火力発電所で使う重油を要求し、米国は毎年50万トン提供すると約束した。でも交渉がまとまると、まとめた側が弱くなる。金正日は、噓をついて時間を稼ぎ、裏では核開発を進めていた」(同前)
2002年にブッシュ米大統領が北朝鮮を「悪の枢軸」と批判。追いつめられた北朝鮮は、今度は日本に譲歩した。
「2002年の小泉訪朝で、核開発していたことを認めない『日朝平壌宣言』にサインさせられた。拉致は認めて譲歩したけど、ここでも噓をついたわけです」(同前)
北朝鮮をまともに相手にしてはいけない、と言うのは東京通信大学・重村智計教授だ。
「1990年の金丸氏以降、競って訪朝したが、コメなどの援助品を奪われただけ。北朝鮮は『工作国家』。情報収集して相手の弱みを握り、ニセ情報で攪乱する。『乗り遅れるな』論であせってはダメです」
安倍晋三首相は、内閣情報調査室トップの北村滋内閣情報官に北朝鮮との交渉を託していた。だが7月に極秘で会談する計画は、なぜか米紙にすっぱ抜かれた。
一筋縄ではいかない相手だ。
【日朝交渉史】
●金丸信 賛否両論のある共同宣言(1990年9月)
「早い時期に国交正常化すべき」と共同宣言。「戦後45年の償い」の文言もあった。
●土井たか子 朝鮮労働党との深い交流(1990年10月)
朝鮮労働党の創建45周年報告会で、外国からの招待者のなかでは3番めに紹介された。
●小沢一郎 金丸信に言われて訪朝(1990年10月)
土井たか子とともに式典に出席。北朝鮮にだ捕されていた日本人乗組員が帰国した。
●森喜朗 金正日には会えず(1997年11月)
拉致事件について「行方不明者として調べる」と言質を得たが、翌年「発見できず」の返答。
●村山富市 テポドン発射への制裁を解除(1999年12月)
前年のミサイル発射で中断していた日朝交渉の早期再開で合意。食糧支援の凍結も解除。
●小泉純一郎 拉致被害者帰国実現の裏で(2002年9月)
5名の帰国を実現。だが日朝平壌宣言に「拉致」の言葉を残すことは拒否された。
(週刊FLASH 2018年9月18日号)