大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、山口智子の「子供いらない」発言を深読みする。
1995年に俳優の唐沢寿明と結婚した女優の山口智子(51)が、『FRaU』3月号(講談社)で「子どもを産むつもりはなかった」と心情を赤裸々に語り、話題を集めている。
「私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました。私は、『子供のいる人生』とは違う人生を歩みたいなと。だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました」
栃木の老舗旅館に生まれ、両親の離婚で祖母に育てられた幼少期の環境に、子供が欲しくないという心因があったのだろう。 この発言は、さまざまな事情で子供がいない家庭に勇気を与えるものとして、多くの称賛の声で迎えられている。
だが、じつは、この発言に私はやや違和感を感じた。智子さんは、かつて「リユース!ジャパン プロジェクト」のインタビューでこう語っていたからだ。
「先祖や自然、何かとつながっているという意識がありますね。確かに、たった一人で立っていると思うと、不安だらけで苦しくて、すぐに酸欠状態でパクパクしちゃいます。でも、人類の歴史の厚みくらい大きなものと、いつもつながっていると思うだけで、大らかな気持ちで次に向かっていける。大河の一滴である自分も誇らしいと思えてくる」
つまり、智子さんは「人類の歴史の厚み」に共鳴しつつ、そこに子供は存在していないのだ。それが私が感じた違和感の理由だろう。
智子さんは、ドラマの仕事を控えた後、ものづくりを極める職人を訪問したり、民族音楽を映像にまとめたりと、精力的に世界の文化を紹介する活動をおこなっている。
その根っこにあるものは、故郷への喪失感だ。「『家』という宿命に縛られたくない」思いが故郷への喪失感を生み、そのため、「本当の魂の故郷」を探したと『FRaU』でも語っている。
じつは、私は智子さんのインタビューを読んで、女性解放運動の旗手だった「平塚らいてう」のことを思い出した。雑誌「青鞜」の創刊号で、「元始女性は太陽であった」という論説を載せ、「新しい女」の出現を主張した人物だ。
らいてうは、1921年、大阪で開かれた「覚醒婦人大会」でこんな発言をしている。
「恋愛が人生における最も神聖で厳粛なものとして扱われる社会では、合法的結婚による愛の売買も、いわゆる売淫(売春)も重大な社会的不正として第一に排斥される」
女性を解放すべく、らいてうは「家」を捨て、自由恋愛を至上のものとした。だが、家を捨てては、根無し草になってしまう。そこで、らいてうは「新しき生命であり、未来そのもの」である子供の重要性を訴えた。
100年前、社会の先端にいる女性たちは、家を捨て、結婚を捨て、そのかわりに自由恋愛を求めた、しかし、現実的には子供たちに将来を仮託し、自分の人生を意味あるものにしていくことしかできなかった。
いま、社会は解放され、自由恋愛は当たり前になった。女性たちの一部は、自分の人生の重しとなりうる子供も捨て始めた。
そして、私が見るところ、どうも男をさえ捨て始めた女性たちも出現しているように感じられる。100年後、次の時代に生きる女達は、いったいなにを捨てていくのか。
平塚らいてうは、まもなくNHKの朝ドラ「あさが来た」に登場するという。女の解放の歴史に思いをはせながら、ぜひ視聴したい。
(著者略歴)濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数