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カルロス・ゴーンだけが理解した「GT-R」開発プラン
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.02.17 20:00 最終更新日:2019.02.17 20:00
テニスプレーヤーの大坂なおみ(21)は、全米OPを制した直後の2018年9月に日産本社で好きな車種を聞かれ、こう答えた。
「GT—R。速いから。白いのが欲しい」
1999年、ゴーン被告が日産の最高執行責任者(COO)に就任以降、日産が、いや日本が世界に誇るスポーツカーの運命が、再び動きだした。
当時の日産は、2兆1000億円もの借金を抱え、全世界でのグループ人員を2万1000人削減し、下請け企業を約半分に減らさなければ立ち直れないような状況だった。
スポーツカーのような「夢を語る車」は、真っ先に整理対象になって当然であり、実際にその方向で進んでいた。
「コストカッター」として知られるゴーン被告だが、クルマ好き。かつて出演したテレビ番組ではこう語っていた。
「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。クルマ以外にこんな製品がありますか」
だからこそ、バブル経済崩壊で新モデルの開発が停止していた「フェアレディZ」の復活プランと、環境性能への対応などから実現不可能と思われていた「GT—R」の開発プランが始動した。
その後2004年からGT—Rの開発をゴーン被告に全権委任される、開発責任者の水野和敏氏は、かつて取材にこう語っていた。
「あのころの日本人上層部のなかで、『世界の頂点に立つスーパースポーツカーを作りたい』という私の思いをまともに聞いてくれる人はいなかった。だが、ゴーンさんだけは真っ正面から、その思いを受け止めてくれたんです」
当時、「ゴーンの直轄プロジェクト」というだけでも異例。それが高額なスポーツカーとあって、水野氏には、多くの人からこんな声が寄せられた。
「レースでの実績や、スカイライン、プリメーラなどをやってきた水野さんの名声が全部吹っ飛ぶよ」
誰もが「絶対無理」と断言するプロジェクト。「触らぬ神に祟りなし」と、開発スタッフ集めでも社内の協力は得られなかった。水野氏は、「チーム人員の8割を、某メーカーの早期退職者たちなどを中心に集めた」という。
それでも、ゴーン被告の支援を受け、2002年にはフェアレディZが復活。続いて2007年の東京モーターショーでGT—Rがベールを脱いだ。1000万円を超える欧州のスーパーカー並みの高性能を800万円(当時)ほどの価格で実現するという、いかにも日本的コストパフォーマンスの高さに世界は驚き、大歓迎した。
それから12年、GT—Rは、いまや日産のイメージリーダーカーといえる存在だ。
さらに2018年末、GT—R特別仕様車「大坂なおみ選手日産ブランドアンバサダー就任記念モデル」を限定50台、1260万円で予約を受け付けると、キャンセル待ち状態となった。日産にとっては久しぶりの明るいニュースだ。
しかし、その名車GT—Rが、ゴーン被告の決断と、技術者の執念が生み出した功績だとすれば、皮肉な話ではある。
取材&文・佐藤篤司
(週刊FLASH 2019年2月26日号)