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国産戦車の砲塔製造に必要なのは「日本刀」の技術だった!
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.03.27 12:00 最終更新日:2016.03.30 14:50
自衛隊の知られざる現状を、防衛ジャーナリストの桜林美佐氏が徹底取材した!
完全国産のヒトマル戦車を製造しているのは、神奈川県相模原市にある三菱重工業の汎用機・特車事業本部だ。しかし、実際はそのほかにも多くの企業が関係しており、その数は約1300社といわれている。
その多くが町工場などの中小企業で、そこでしか担えないような特殊な技術を持つ、いわゆる「オンリーワン企業」だ。そして、戦車の製造技術は、民生技術への転用に大きく役立っている。
「戦車に用いられているレゾルバ(制御に用いられる回転角センサ)は、プリウスの車体にも入っています。その精度は、プリウスを1としたら、戦車は1600倍と、格段の差がありますが。
部品は多摩川精機が作っています。モーターに巻き線する作業は、10年ほどかかる大変な技術の習得です。細かい手作業なので、女性にしかできないといわれています。このレゾルバは、プリウスの3600倍の精度で、月周回衛星『かぐや』にも民間転用されているのです」(自衛隊関係者)
また、履帯(りたい=キャタピラ)の一部に使われているゴムは明治ゴム化成が製造している。さまざまな薬品を混ぜて配合ゴムを作り出すのだが、開発に5〜6年はかかっている。私も工場に行ったことがあるが、あたり一面、ゴムの臭いが充満し、体じゅうがゴムになってしまったようで驚いたものだ。
こうしたゴム技術は、新幹線の枕木にあるパッドに使われている。
砲身を作っている日本製鋼所には、信じられないことに刀匠の方がいた。砲撃に耐える製鉄技術は、ひと言で言えば日本刀の鍛冶と同じなのだ。そして、この技術は原子炉の部材製造にスピンオフしている。工場に伺ったとき、刀匠の方がこう言っていた。
「日本刀も原子炉も、大きさは違えど、同じ鍛鋼製品として、制作工程は変わらないんです」
おわかりだろうか。戦車を作りつづけることは、日本の技術を下支えしていくことと同義なのだ。
しかし、防衛予算が10年連続で削減されるなか、戦車の数は減少の一途をたどっている。
三菱重工業では、戦車や自走砲など、特殊車両の操業量は20年前に比べて8割から9割減となっており、2005年には千歳工場が休止した。最盛期には年間72両の戦車を製造していた工場も、現在は8両ほどしか作っていない。実際、私が工場に伺ったときも、作る物がないので、とにかく閑散としていて寂しい状態だった。
現場の技術者は、「ラインが休止状態で、金曜日を休みにした時期もありました。このままでは、技能工を維持することができません」と肩を落とす。 「ライン」といっても、防衛装備品は数量が限定的で、工程がオートメーション化されるような工場はなく、ほとんど手作業によるものばかりである。
技能工は、1000点ほどもある部品を数ミクロンの単位で調整し、わずかな歪みや隙間を見つけては微妙な修正をし、ちょっとした音の違いに気づくといった能力を持っている。そのおかげで、日本の戦車は高速走行でも正確な動作が可能なのだ。
こうした高度な技術を身につけるには、少なくとも10年以上の専門的な経験を要するのは言うまでもない。
しかし、高い技術を身につけた人たちを維持したくても、日本の防衛産業はほとんどが企業の一部門でしかなく、しかも規模が小さすぎるから、株主の意向次第では、あっさり切り離される可能性もある。
ある下請け企業の社長が、苦しい胸の内を吐露してくれた。
「設備の老朽化で新しい機械を導入しましたが、生産数も減り、また厳しいコスト削減を迫られ、銀行への返済もままならず。もう限界に近づいています」
こうした窮状のなか、多くの企業は、自衛隊の装備品を作っているという誇りと使命感だけで事業を続けているのが現実なのだ。
(週刊FLASH 2013年9月17日号)
桜林美佐 1970年、東京生まれ。テレビディレクターなどを経て、防衛ジャーナリストに。近著に『武器輸出だけでは防衛産業は守れない』『海をひらく - 知られざる掃海部隊 -(増補版)』 『自衛隊の経済学』ほか多数