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『真田丸』で人気の「真田昌幸」知られざる智将伝説

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.04.10 12:00 最終更新日:2016.04.10 12:00

『真田丸』で人気の「真田昌幸」知られざる智将伝説

写真:アフロ

 大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、『真田丸』で人気の武将・真田昌幸の知られざるエピソードを紹介する。

 


 

 

 NHK大河ドラマ『真田丸』で、主人公・真田信繁(幸村)の父・昌幸(1547~1611)が注目を集めている。演じるのは草刈正雄で、その怪演ぶりは主役を食ってしまうほどだ。

 

 昌幸は天下人・豊臣秀吉から「表裏比興の者」と言われたほどの人物。比興とは、いまでは「卑怯」にも通じる言葉だが、なぜか「面白い」と「面白くない」と正反対の2つの意味を持っている(『日本国語大辞典』による)。

 

 秀吉が言ったのは「曲者」とか「老獪」という意味で、武将として最大限の賛辞にあたる。

 

 智将として名高い昌幸は、戦前、道徳や歴史の本に頻繁に取り上げられ、嘘かマコトか、さまざまな伝説に彩られている。

 

 たとえば、母の胎内に12カ月いて、生まれたとき顔に7つのアザがあったという。瞳は大きく、人を見るときはキラキラ輝き、まるで射るような目つきだった(高橋省三『少年立志伝』1892年刊)。

 

 14歳の初陣では、子供だと相手にしなかった敵兵を「引き返して勝負せよ」と呼び止め、2人の首をとった(熊田葦城『少年武士道』1908年刊)。

 

 厳寒の戦場で、大将の武田信玄から「敵の北条軍になんとしても勝て」と言われたとき、当時最大のタブーだった「禁酒」を破り、兵士に大量の酒を振る舞った。そして、酔った勢いであっさりと攻め落とした(野村政夫『日本国史插話』1940年刊)

 

 そんな昌幸の人生訓として、戦前にはよく知られた逸話がある。

 

 昌幸がまだ若いころ、日本刀の柄(刀身を握る部分)を木綿の組み紐で巻いていたのを、ある人が貧乏くさいと嘲笑した。それを聞いた昌幸は「たとえ、錦を着ていても、その人物が頑固で愚かならば物の役には立つまい。この魂を見られよ」と言い、腰を見せたところ、日本刀は正宗作の名刀であった。それで、相手はとても恥じ入ったという話である。


 
 この話は、表面や上辺だけを着飾ったり、見た目だけで人を判断するのではなく、中身や全体を注意深く見よと教えているのは誰でもわかるだろう。

 

 少年たちの道徳教育に使われたこのエピソードは、困ったことに、だんだんと立派な日本軍人の鑑のように使われ始める。

 

 実際、第一次世界大戦の直前に刊行された『大正勅諭軍人の精神』という本では、このエピソードの教訓として、「真の力量ある軍人になるため、天皇陛下のおさとしのように、常によく義理をわきまえ……」などと書かれている。

 

 昭和に入ると、昌幸の肖像画は陸軍の特別展覧会などで展示されるようになる。智将・昌幸は、いつの間にか日本軍によって“軍事利用”されていったのだ。

 


 

(著者略歴)

濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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