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公明党・山口代表、安倍首相に物申す「人事は果断に決断を!」

社会・政治 投稿日:2019.05.17 06:00FLASH編集部

公明党・山口代表、安倍首相に物申す「人事は果断に決断を!」

幼少期(写真提供・山口事務所)

 

 茨城県那珂郡那珂湊町(現・ひたちなか市)で生まれた山口氏。父は天気相談所の初代所長、母は小学校教員だった。政治を志す原体験は、地元にある。 

 

「日立市には、銅鉱山があって、その煙害で企業と農民が激しく対立していた。ですが、高い煙突を立て、煙が山や畑に下りないようにして、対立を乗り越えた。

 その歴史を、新田次郎さんが『ある町の高い煙突』という小説で描いた。新田さんに題材を提供したのは、私の父です。政治家になる原体験のひとつになった」

 

 弁護士時代は、DV被害者や消費者金融の問題などに取り組んでいた。 

 

「弁護士は依頼者のために、一生懸命にやって結果を出せます。しかし、ほかの場所で同じような境遇にある人は救えません。弁護士は法律を作れませんから。いい法律、いい予算措置があれば……と『壁』を感じていたのです」

 

 そんなときに、政界からの誘いがあった。 

 

「当時公明党では、定年制を実行しようとしていた。神崎武法さん(初代公明党代表)に声をかけられ、党の世代交代を熱く説かれたんです」

 

 そして、1990年の総選挙に初出馬し、当選。1996年までは衆議院議員も務めた。2001年からは参議院議員で、衆参両院に幅広い人脈がある。ほかに仲のいい政治家を聞いてみた。 

 

「村上誠一郎さん、岡田克也さんですね。大学同級で、時々飲み会をやっていますよ」

 

 自公政権の天下にも、変調が見られる。4月の大阪府知事と大阪市長のダブル選挙では、自公が推す候補が敗北。統一地方選でも、公明党は、京都市議会と大阪市議会で1議席ずつ減らしてしまった。だが、道府県議選では、全候補者が勝ち抜いた。 

 

「厳しいといわれていましたが、それでもかなり頑張った。とくに大阪の底力は、今も健在だと思っています」

 

 古くから、「常勝関西」と呼ばれた公明党の牙城で起きた、変化の兆し。支持母体・創価学会の変化とも、無関係ではなさそうだ。公明党の創立者で、創価学会のトップ・池田大作名誉会長は、近年は公の場に姿を見せなくなった。

 

「まったくお会いしませんよ。そもそも公明党の幹部は、基本的に会いませんから」  

 

 日本国憲法には、政教分離の原則があるとはいえ、池田氏の登場が減るにつれて、公明党の集票力にも陰りが見える。2017年の総選挙では、比例全ブロックの獲得票数が初めて700万票を割っている。

 

「日本全体が人口減少、少子高齢化が進んでおり、どの団体もそういう状況を抱えていますから。若い力を育てなくてはいけません」

 

 自公の蜜月は今年で20年。いま、安倍首相に「嫌」と言えるのは山口氏だけかもしれない。

 


(増刊FLASH DIAMOND 2019年5月30日号)

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