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【熊本地震取材記(2)】本震を経験して身も心もボロボロ
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.04.20 13:34 最終更新日:2016.04.20 13:34
4月14日、熊本地方を襲った震度7の大地震。本誌記者は、この地震の被害を取材すべく、15日午前、福岡空港から熊本へ入った。
益城町の取材を終え、15日夜に熊本市中心部のホテルへチェックイン。10階の部屋で深夜原稿を書いていると、突然、ドドッとすごい音がして、椅子が浮き上がって投げ飛ばされた。
揺れる! 激しく揺れる! ドドドドっと地面を突き上げるような音。机の下に隠れようとしたが、ゆらゆら揺れて入ることができない。
机の上にあった加湿器、灰皿が机から吹っ飛んだ。すぐに停電。慌てて廊下に出ると、宿泊客がみな廊下に出ている。
「やばいですよね」
「やばいやばい……」
従業員が私服のままドアを一部屋ずつノックして回っている。
「大きな地震です。すぐに出てください」
たしかにこれは、外に出ないと危ない。あわてて着替え、荷物をまとめるが、その間にも余震が重なり、揺れ続けている。どうにか荷物を持って非常階段を下りる。外壁がボロボロと崩れてくる。
すでに多数の宿泊客が、毛布をまとったり、パジャマ姿のままで道路に出ていた。あたりは停電で暗い。信号も消えたままだ。
近くの公園が避難所になっているようで、向かうと暗がりのなか、すでに数百人が右往左往していた。ここは中央区。熊本城に近く、官庁街で周辺にはビジネスホテルが建ち並んでいる。
近くのホテルから次々と宿泊客が避難してきた。その間も地面から突き上げるような余震が何度も起きた。これこそが大地震なのか。ビルが倒壊しているという情報もある。熊本はどうなるのか。
結局、危なくて部屋に戻ることはできず、宿泊客は公園か1階ロビーで朝まで過ごすことになった。急激な寒さが襲ってくる。しかも原稿を書かねば。
近くの駐車場にレンタカーを停めていたので、車を出すことにした。車内なら原稿を書くことができる。すでに公園の周りには車がずらりと並んでいた。
原稿を編集部に送ったあと、少しでも横になって休んでおこうと、シートを倒す。しかし、10分もたたないうちに次々と緊急地震速報がラジオと携帯から鳴り続ける。
すぐに車は横に揺れ、体が車内でゴロゴロ転がる。また速報、また揺れる。速報が鳴る前に揺れることが何度もあった。「速報が遅いんだよ」などと独り言を言って、不安をごまかす。
もはや、どの速報がどの地震を指しているのかわからなくなった。朝4時。速報が流れても気にせず寝ることにした。
「車内なら死ぬことはないだろう」
翌朝、ラジオからひっきりなしに流れてくるのは、南阿蘇の被害情報。これは熊本市から南阿蘇に移動するしかない。
出発前に公衆トイレで用を足すが、水は出ない。停電もしている。市内のコンビニはほとんど閉店したまま。普段の生活がいかにコンビニ依存だったか思い知らされる。
南阿蘇に向かう途中、ガソリンスタンドには長蛇の列ができていた。この光景は東日本大震災のときに見たのと同じだ。まさにこの地震は「九州大震災」とでもいうべき大地震だ。
南阿蘇村に入るには、阿蘇大橋が崩壊しているため、大きく迂回しなければならない。途中、アスファルトの道路に亀裂が入り、隆起しているところも多数。
どうにか村に入る。じつは村に入るには、崩落した阿蘇大橋のすぐ近くにある、別の橋を渡らなければならない。橋の手前で車の通行はストップ。
「ここから先は徒歩で行ってください。自己責任で」
そう警察官に言われ、橋を見ると、土台部分が大きくずれてむき出しになっている。今にも落ちそうだ。
「こ、ここを渡れと……」
だが、行くしかない。100メートルほどの長さの橋を渡るのに、これほど怖いと思ったことはなかった。
南阿蘇の取材を終え帰路につく。早めに熊本市内に着かないと、暗くなってから悪路を運転する自信がない。写真も早く送らねばならなかった。
前述のとおり、南阿蘇から熊本市内に向かうには大きく迂回しなければならない。途中「南阿蘇グリーンロード」を通った。この道は、阿蘇の高原を走る観光道路だ。
牧場の横を通過すると、大きな地震があったことなどどこ吹く風、10頭近い馬が気持ちよさそうに放牧されていた。これが地震取材でなければ、じつに気持ちがいい道だったはずだ――。