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川崎殺傷事件、死亡した39歳男性は外務省元ミャンマー担当

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.05.28 19:28 最終更新日:2019.05.28 19:28

川崎殺傷事件、死亡した39歳男性は外務省元ミャンマー担当

外務省採用案内より

 

 5月28日、川崎市多摩区の登戸駅近くで、小学生の児童ら19人が、次々と刃物で刺される事件が発生した。襲われたのはカリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生やその親などで、小学6年生の女児1人と、39歳男性の死亡が確認された。 

 

 神奈川県警は、死亡した39歳の男性が、外務省職員の小山智史さんだと発表した。子供の見送りに来て、後ろから背中を刺されたとみられている。 

 

 

 小山さんは、国内外への広報や、文化交流の推進を担当する、広報文化外交戦略課の職員だった。外務省が発行した『専門職員採用案内』2014年版には、「とにかくミャンマーが好き」と語る小山さんの姿があった。 

 

「外国語大学に入学する際、特に希少そうなミャンマー語に魅力を感じて専攻しました。生まれて初めての海外旅行先はもちろんミャンマーで、当時まだ軍事政権時代でしたが、負の要素をまったく見せずに活き活きと暮らしているミャンマー人に感銘を受けたのを覚えています。その時、漠然とこの国と関わる仕事をしてみたいと思いました」

 

 2004年に外務省へ入省し、2005年からミャンマーに約5年滞在した。最初の2年は大学での語学研修、あとの3年はミャンマーの日本大使館での勤務だったという。当初、ミャンマー語での会話に苦労したため、カラオケでミャンマーの歌を歌って練習したという。

 

 現地滞在中は、大使館での政務に加え、要人訪問時の通訳もこなしていた。

 

 2013年に外務省から出されたレポートで、小山さんは「特に大変だったのは、昨年、日本政府が派遣したミャンマー文化・スポーツ交流ミッションに同行した時です。大統領に加えて3閣僚、それぞれ一時間以上の会談を、朝から、昼食も抜きで通訳しました。しかもその会談の記録を、その日の内にほぼすべて自分で作らなければならず、あの日は全て終わった後はさすがに灰色になってましたね…」と語っていた。

 

 同年、ノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チーさんが訪日した際、担当官として京都日程に同行した。買い物では通訳をつとめ、日本のお菓子が好きなスー・チーさんから、「お菓子担当」に任命されたという。 

 

『採用案内』の中で、小山さんは「日本の国益のために働きながら、ときにはミャンマーの立場に立って、日本がミャンマーを正しく理解できるようなイベントなど、両国の交流が進むアイデアを出していきたい」と意欲に燃えていた。

 

 国際交流にかけるそんな熱い想いは、突然の凶行で一瞬にして奪われてしまった。 

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