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日本の基幹産業を壊滅させた「幻の大地震」から何を学ぶ?

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.05.07 17:00 最終更新日:2016.05.07 17:00

日本の基幹産業を壊滅させた「幻の大地震」から何を学ぶ?

三重県四日市のコンビナート(写真:AFLO)

 

 大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、隠蔽された「幻の大地震」から何を学ぶかを考える。


 

 

 熊本に激震が走った。4月14日、午後9時26分頃、九州から西日本の広い範囲にかけて強い地震が起き、熊本県益城町で震度7を観測した。

 

 津波の被害はなかったが、多くの人が民家の下敷きとなって命を落としているし、避難所で生活をする人々もまだまだ多い。1日も早い復旧を祈るばかりだ。

 

 これまで震度7は、阪神淡路大震災(1995)、新潟県中越地震(2004)、東日本大震災(2011)しか存在しなかったから、今回の熊本地震がどれだけ大きいかがわかる。

 

 ところで、大地震は大きな人的被害を招くが、昭和に入ってからは、社会インフラや産業へのダメージが深刻な問題として取り沙汰されるようになってきた。

 

 阪神淡路大震災で高速道路が倒壊した映像は、多くの人に衝撃を与えた。

 

 新潟県中越地震では、自動車のエンジンに不可欠なピストンリングを作っていた部品メーカーが被災し、国内の主要自動車メーカー全12社が一時操業を停止した。

 

 東日本大震災では自動車制御用のマイコン(半導体)メーカーが被災し、やはり多くの自動車工場が生産休止を余儀なくされた。

 

 現代の自動車産業は、トヨタや日産などの自動車メーカーを頂点に、1次から5次くらいまでの部品供給会社がピラミッド構造でつながっている。このサプライチェーンが寸断されると、すべての工場が停止するハメになる。

 

 これは今回の熊本地震でも同様で、たとえばトヨタは、国内16工場のうち、15工場を段階的に操業停止した。生産を再開したのは、5月6日になってからだ。

 

 大地震を機に産業全体が崩壊の危機に瀕したのは、1944年(昭和19年)12月7日に起きた「東南海地震」が最初だといっていいだろう。

 

 この地震は、マグニチュード7.9と推定されているが、名古屋を中心とした中京地域が大きな被害を受けた。当時、この地域は三菱重工業や中島飛行機などがある航空機産業の中心地だった。

 

 そして、地震で軍用機の生産が壊滅的な打撃を受け、このことが日本の終戦を早めさせた大きな原因のひとつといわれている。  

 

 実は、終戦直前、日本では1000人以上の死者・行方不明者を出した大地震が3つ連続して起きている。  

 

 1943年9月10日 鳥取地震  犠牲者1083人

 1944年12月7日 東南海地震 犠牲者1223人  

 1945年1月13日 三河地震  犠牲者2306人

 

 いずれも戦時中で、特に東南海地震と三河地震は工業地帯の被害を敵に知られないよう軍部が隠蔽したため、ほとんど記録が残っていない。まさに「幻の地震」である。

 

 一方、鳥取地震では『鳥取県震災小誌』という本が作成され、被害状況や復旧の過程がそれなりに詳しく残された。その本に、意外ともいえる指摘があった。普段から敵の空襲に備えた訓練をしていたおかげで、地震の被害が少なかったというのだ。

 

《火事の少なかったことは家庭防空の完璧を立証するものであった。誰に聞いても火の始末の点はよかったといっている。たとえ空襲があっても、あるいは近畿地方に空襲があったとしても、これに対処する上にありがたい体験を得た》

 

 普段の防空訓練が地震でも役だったという指摘は、不謹慎ではあるが、納得もいく。逆に言えば、現在の日本では、防災訓練はせいぜい年に1度だろう。これでは、いざというとき、ちゃんと対処できるのか不安も残る。

 

 同書の「大震災の教訓」の項目のトップは「官庁執務」だ。非常事態の際、官庁の機能を分散させることはもっとも重要であり、ことに空襲に際しては官庁の「分散疎開が絶対に必要」だとしている。

 

 今回の熊本地震でも、いくつかの役場が完全に機能停止したことを思えば、現代でも通じる教訓といえるだろう。

 

 大地震が3つ続き、日本は1945年8月、ようやく終戦を迎えた。

 

 それから1年ほどたった1946年12月21日、再び大地震が日本を襲う。「南海地震」と呼ばれるもので、死者・行方不明者は1443人。さらに、1948年には「福井地震」が起き、死者・行方不明者は3769人にのぼった。

 

 日本では、明治以降、0から6の7段階で震度を決定していたが、この福井地震(マグニチュード7.1)を機に、震度7が新設されるようになる――。

 

 地震は本当に恐ろしい。だが、結局は普段の備え、普段の心構えがいちばん役に立つというのが歴史の教えのようだ。

 


 

(著者略歴)

濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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