「最後は17頭ですからね。17頭」
高屋氏が悔しさをにじませたのは、2014年に日本政府がIWCに提案した、日本近海でのミンククジラの商業的捕獲枠だ。
日本政府は、反捕鯨国が出すあらゆる条件をのみ、クジラの保護も十分に可能な枠内で、商業捕鯨の再開を訴えつづけてきた。そこで提案したのが、文句のつけようのない17頭という数字だ。
しかし反捕鯨国は、この提案にも反対した。
「これは科学的根拠や道理を無視した話で、IWCの当初の目的である『クジラを持続的に利用する』という趣旨からも、まったく逸脱しています」(高屋氏)
機能不全に陥ったIWC。日本の立て直し策は徒労に終わり、残された方法は脱退しかなかった。
脱退して有利になることは、けっして多くない。調査捕鯨では南極海にも捕鯨船を派遣していたが、今回の商業捕鯨は日本の領海と排他的経済水域に限られる。
捕獲数も、調査捕鯨637頭に対し、商業捕鯨では383頭と、4割も減ることになる。もちろんこの数字も、IWCの規定に沿って算出した、「100年間捕獲を継続しても資源に悪影響を与えない」(水産庁)と認められたものだ。
「本当に、心が震えるほど嬉しく、感無量であります。この後も未来永劫、クジラとともに生きていきたい」
7月1日、出港に先立つ記念式典で、日本小型捕鯨協会の貝良文会長はこのように述べた。
商業捕鯨を求めたIWCでの攻防や、環境保護団体との折衝は、日本人の尊厳をかけた話し合いであったのだ。
1日夕方。水揚げされたクジラを、海外メディアや筆者を含めた50数人の報道陣が取り囲んだ。鯨漁師たちは、ほとんど無言のままだ。
内臓は、沖合で海に戻され、腹の一部が裂かれた状態だ。黒みがかった血が流れる腹の中にも、カメラは向けられる。クジラはそのままトラックに載せられ、車でおよそ30分の解体場に運ばれた。すでに血抜きされているため、搬入の際に血の飛散はない。
加工担当者たちが全員で、クジラに清酒を振りかけた。場内が、厳かな雰囲気に包まれる。そして、加工場と我々を隔てるシャッターが下ろされた。鯨漁の当事者たちの畏怖の念、31年間の万感の思いを感じた。
取材&文&写真・水本圭亮
(週刊FLASH 2019年8月6日号)