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アップル創業者スティーブ・ジョブズ、死の直前に「ねこまんま」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.10.05 11:00 最終更新日:2019.10.05 11:00
スティーブ・ジョブズが亡くなって、早くも8年になる。
アップルの共同創業者でカリスマ。禅に傾倒し、和食通でもあった。そんな彼の好きだったメニューを知りたいと思い、常連だった店を訪ねた。
訪れたのはシリコンバレーの中心にある「陣匠(JIN SHO)」。ジョブズの自宅からもほど近い。店には個室もVIP用の出入口もない。50名ほど入れる落ち着いた雰囲気。
有名人だからと特別扱いはしない店だ。客が並んでいるときに予約なしでジョブズが来店した際も、いったん帰らせたそうだ。
ジョブズは時には一人で、時には家族連れだったりしたが、土曜日の夜、比較的早い時間に夫人と2人で来ることが多かった。本人が事前に電話予約を入れ、店は壁際かカウンター席に座らせるようにしていた。1週間に5回来店したこともあるという。
さっそく彼の好物だった寿司を握ってもらった。
大トロ、サバ、うなぎの白焼きである。
陣匠は、ニューヨークの有名店で修行を積んだ2人が共同オーナー兼料理人である。腕前はもちろんだが、食材にもこだわりがある。
たとえば、サバはアメリカでも冷凍物が入手可能だが、この店では必ず九州から仕入れたものを使う。ちょうどよい大きさに握られた寿司には、気づかないほど薄く削りあげられたバッテラ昆布が載せられている。これがほんのりとした甘酸っぱさを放っている。
うなぎは活け締めされたものをさばいて白焼きにし、藻塩とゆずこしょうを載せ、ライムを垂らしてからいただく。シャリと身の柔らかさとは対照的な、パリッとした皮の食感が印象に残る。
ちなみにお値段は、サバもうなぎも5ドル。億万長者でなくとも手が届く。
ジョブズは白身の魚も好きだったとオーナーの金子典民さんは語る。
カウンターに立っていると、魚の鮮度について客から「いつ入荷した?」と聞かれることがあるが、スティーブは「いつ死んだ?」と時間まで知りたがった。空輸時間や市場に入荷した時間から一緒に逆算したこともある。寿司ネタは必ずしも締めた直後が一番おいしいわけではないといった話もした。
さらに、ごま油100%で揚げて食べたいと言われ、エビ1本のために油を用意したこともあるし、事前に自家製のバッテラ寿司を予約してから来ることもあった。
ジョブズのこだわりの性格が表れている。
当時からスティーブ・ジョブズは有名人。周りにいる客から声をかけられることは珍しくなかったが、たいていは不愉快そうで、客と握手をしたところは見たことがないという。
唯一の例外がサンフランシスコ・ジャイアンツの選手が居合わせたとき。選手がファンのリクエストに答えており、たまたまカウンターに球団オーナーが座っていた偶然も重なり、リクエストを断りきれず一緒に写真を撮って握手したそうだ。
2011年3月の東日本大震災の直後には、娘と一緒にわざわざ店を訪れ、日本に寄付をしたいと申し入れてくれた。震災のすぐ後で、店側も寄付を受け付ける準備がなく、断らざるを得なかったと言う。
ハロウィンの夜には、自ら子供達にキャンディーを手渡ししていたジョブズファミリーの優しい一面もうかがい知ることができた。
そんなスティーブ・ジョブズの食欲は、徐々に落ちていった。
お世話になった人たちを店に招待したり、会社の幹部と見られる人と1対1で話し込む機会が増えた。アル・ゴア元副大統領が来店したのもこの頃。
ジョブズに介助が必要になってからは、夫人が横に座り、手助けをした。晩年は鍋焼きうどんなどをオーダーするようになり、金子さんが寿司を握ることはなくなった。
さらに食が細り、ほとんど食事をしなくなった頃、金子さんが何回か目撃した光景がある。それはジョブズが、醤油皿にごはんを載せ、味噌汁をかけて食べる姿だ。
いわゆる「ねこまんま」を小さな皿に作っていた。
その皿を再現してもらった。ここに浮かぶお米の一粒一粒を噛み締めたのだろうか。
夏を最後に、ジョブズが店を訪ねることはなくなった。カウンター越しにたくさんの話をしてきた金子さんだが、ジョブズと一緒の写真は1枚もないそうだ。(写真・文/白戸京子)