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関係者はみんな直立不動…関電幹部を屈伏させた高浜原発のドン
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.10.09 06:00 最終更新日:2019.10.10 15:51
関係者はみんな直立不動…関電幹部を屈伏させた高浜原発のドン
「森山さんは、怖い人じゃない。私たちには、優しいふつうのおじさん。近所のお年寄りは、『あの人は偉い人だ』って口を揃えます。今年3月に90歳で亡くなりはったけど、最近はずっと、体調を崩されていました」
福井県大飯郡高浜町に住む30代の女性は、「森山さん」についてこう振り返る。森山栄治・高浜町元助役。関西電力(以下関電)内では、「М」と呼ばれていたという。
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9月26日、この森山氏が、関電の八木誠会長以下の経営幹部に対して、2006年以降7年間にわたり、総額約3億2000万円相当の金品を渡していたとの報道が、日本中を駆け巡った。現金、金貨、金杯、小判、米ドル、仕立券付きスーツ……。まるで時代劇の、“悪代官と越後屋” のようだ。
大企業である関電がなぜ、人口1万人の小さな町の元助役から、カネを経営陣にバラ撒かれ続けたのか。
「原発ができて、農業、漁業、民宿経営くらいしか仕事がなかった貧しい町に、雇用が生まれた。それも森山さんのおかげや。原発で、人口減少に歯止めがかかったんです」(町民)
高浜町に入ると、立派な建物が次々と目につく。高浜町の歳入のうち、原発があるために入る「交付金」が約3割を占める。大きな公民館や体育館などの建設費や運営費は、こうした交付金でまかなわれていた。
「森山氏は長年、関電と町の『仕切り役』として、“原発マネー” を循環させる役割を果たしていた」(社会部記者)
森山氏が役場に入ったのは1969年。1977年から10年間にわたり、助役を務めた。
1974年から1985年には、高浜発電所で1号機から4号機が営業運転を開始。森山氏はその後、関電の子会社をはじめ、警備会社、建築会社などで、顧問や相談役、取締役を歴任。着々と、「高浜原発のドン」としての地位を不動のものにしていった。
2011年に森山氏に会った、ジャーナリストの須田慎一郎氏は、当時をこう振り返る。
「講演で高浜町を訪れたきに、『町いちばんの実力者と会ってください』と言われて待っていると、『先生がお着きになりました』と聞こえて、森山さんが入ってきた。すると、その場にいた町の関係者が全員立ち上がった。
森山さんは、すごく温和で腰が低い人でしたが、私と森山さんが話すあいだ、関係者たちは直立不動。当時、高浜原発は停止中で、『早く再稼働しないと、町が立ち行かなくなります』と切実に話していました」
弱者に優しく、町に尽くした男――。町民が森山氏を “英雄” と見るのは無理もない。
関電の岩根茂樹社長は、10月2日に一連の問題についての調査報告書を公表し、「(森山氏は)担当に厳しい恫喝をする方」と釈明したが……。
「関電は東電と違い、中央官庁の統制が及びにくい、ある種の “独立国”。京大卒の八木会長や岩根社長をはじめ、一流大出身者が多く、エリート意識が強い人ばかり。関西のトップ企業と自負する一方、官僚的で前例踏襲主義の社風。
長年コンプライアンス上の問題を棚上げにしてきたのだろう。海千山千の森山氏には、保身しか考えない関電エリートたちを屈伏させるのは、簡単だった」(経済部デスク)
関電の調査報告書について、前出の須田氏は、こう断じた。
「関電は、警察OBも多数受け入れていて、森山さんを切れなかったはずはない。原発反対派を抑え込める森山さんを必要としていたからこそ、つけ込まれた。報告書は “死人に口なし” で、一方的なものです」
ひとり歩きする「怪人伝説」とともに、暴かれる暗部。狼狽する関電エリートたちを、この世を去った森山氏は、どう見ているのだろうか。
(週刊FLASH 2019年10月22・29日号)