対談は佳境に――。宮崎氏と寺澤氏は、ほかにも「武富士事件」などで、時には味方として、時には敵として、絡み合ってきた。現在、宮崎氏は闘病中で体調がすぐれない。この対談も、実現までには3カ月の時間が必要となった。
寺澤氏が、宮崎氏にどうしても聞いておきたかったというのが、グリコ・森永事件と「キツネ目の男」をめぐる疑問だという。
寺澤「これまで、この『キツネ目の男』は、犯人グループの一員で実在する人間だとされて、そう報道もされてきました。
犯人を捕まえる最大のチャンスだったとされ、結果的に取り逃がすこととなった、滋賀・大津サービスエリアでの現金受け渡し現場でも、この『キツネ目の男』は当日、何度も目撃されたことになっています。
また、別の現場となった電車の中でも、捜査員を監視する不審な男が確認され、のちに『キツネ目の男』と同一人物だったとされました。そして、この有名な『キツネ目の男』の似顔絵は、捜査員たちが現場で目撃した記憶をもとに作られたことになっています。
でも見れば一目瞭然、宮崎さんにそっくりどころか、そもそもこの宮崎さんの写真をもとにして、似顔絵を警察がでっち上げたんじゃないかと思っているんです」
宮崎「まあ、警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ(笑)」
寺澤「宮崎さんの『突破者』を読むと、当時、これが公表されたとき、宮崎さんと一緒にいた女のコが、『テレビにあんたが出てる』と驚いたなんて話も出ています(笑)。
明らかに、宮崎さんの写真をもとに、警察はこの『キツネ目の男』の似顔絵を作っていますよね。警察には、なにかしらの意図があったと思います。『何か心当たりがないか聞きたい』と、長年思っていました」
宮崎「事件の舞台になった京都・伏見という場所については、俺は詳しいよ。その土地鑑があることと、当時の警察のブラックリストを掛け合わせて検索したら、(容疑者として)残ったのが俺だったと思う。
そこから逆算して、この似顔絵を作っていった可能性はあるんじゃないかな」
寺澤「警察は、『宮崎さんをグリコ・森永事件の容疑者、重要参考人に仕立て上げたかった』ということですか」
宮崎「間違いなく、そうだったと思う」
寺澤「そうなってくると、そもそも『キツネ目の男』は実在したのかと、私は思っているんです。大津サービスエリアや電車の中で捜査員が目撃したという『キツネ目の男』は、本当にいたのかと」
宮崎「電車の中や大津サービスエリアに、不審な動きをする犯人グループらしい人間が、いたことはいたんだと思う。でも、その人間がどこの誰なのか、警察の能力では特定できなかったんだろう」
寺澤「『その場になんらかの犯人グループらしい男はいた』と。でも、それは警察が発表した、あの『キツネ目の男』ではなかったんでしょうね」
宮崎「たぶん」
寺澤「ですよね」
宮崎「まして、『現場に俺がいた』なんていう話まであるが、そもそも当時の俺は、警察にマークすらされてなかった。それがある日突然、警察官が自宅に訪ねてきて、『この日どこにいましたか?』なんて聞いてきたんだ。
『あ、アリバイ確認されてるのか』とすぐに思ってね。その日、分裂していた武蔵野音楽大学の労働組合が統一するということがあって、俺はそれを応援していたから、現場で挨拶しているわけ。資料にも残っていたから、『ここにいたよ』と見せた瞬間に、警察官はガクッとしてね」
寺澤「僕もグリコ・森永事件は、かなり取材をしてきたんですが、僕の中でずっとあった、『あの似顔絵の「キツネ目の男」は、実際には電車にも乗っていなかったし、大津サービスエリアで目撃された男ともまったく違う』という仮説と、宮崎さんも意見は一致します?」
宮崎「一致するね」
寺澤「ああ、よかった(笑)。このことは絶対に、宮崎さんが生きているうちに確かめたかったんです」
宮崎「一連の事件捜査のなかで、警察になんらかの失態があったと思うんですよ。それを覆い隠すために作ったのが、俺。つまり、宮崎学という名前の『キツネ目の男』だった。
あんな似顔絵が発表されれば、マスコミだって『どこにいるんだ、逮捕しろ!』と言うに決まってるけれど、あくまで “つくりもの” だから、警察は捕まえようがないんだ。実在しないんだからな。そういうみっともない話だと思う」
寺澤「3億円事件もずっと取材していますが、過去の未解決事件は必ず、『警察官や元警察官が犯人側に関わっていないと実行できなかった』という話になるんですよね。
グリコ・森永事件も、警察官か元警察官が関与していたのは、ほぼ間違いないと思います」
宮崎「グリコ・森永事件の手口を見ると、そう思うよ。そうじゃないと、警察内部の情報を取れなかった。それだけ警察というのは奥行きが深く、悪いんだ」
「キツネ目の男」は実在しなかった――。宮崎氏の体調が悪いなか、対談は2時間近くに及んだ。なお、この対談は、宮崎氏の自宅でおこなわれた。宮崎氏は、「この家も“キツネ目の男”のおかげで建ったようなもの」と笑った。
寺澤「いまの日本社会に、もし転機があるとすれば、宮崎さんはどのようなものと考えていますか?」
宮崎「これから先、いいことはひとつもないと思う。『お上がすべて解決してくれるんだ』という、“国民が何も判断しない社会”、そういうものが生まれてくる。
本来、国政選挙の投票率が50%を切るなんて、異常だよ。『誰かがなんとかしてくれる』と他人まかせなんだ。だから、この国を支配している官僚たちにとって素晴らしい国ができると思う。
そして、官僚にとっていちばん嫌な存在は、俺とか寺澤みたいな “逆らう人” だから、こういう人間は、ひとかたまりにして抹殺していく。
ただ、俺は73歳だから、あと何年生きられるか。問題は、お前たちだよ(笑)。世の中のために働いてくれ。俺は先に行っている。地獄から、『寺澤、こっちに来いよ』って」
寺澤「地獄からですか(笑)」
宮崎「天国に行くことはないだろうよ」
みやざきまなぶ
1945年10月25日生まれ 京都府出身 学生運動に明け暮れて早稲田大学を中退。週刊誌記者を経て、家業の解体業を継いだが、ゼネコンへの恐喝容疑で逮捕。1996年に出した『突破者』が15万部突破のベストセラーになり作家に
てらさわゆう
1967年2月9日生まれ 東京都出身 大学在学中の1989年から、ジャーナリストとして警察や検察、裁判所など、聖域となりがちな組織の腐敗を追及している。2014年に「国境なき記者団」が選ぶ世界「100人の報道のヒーロー」に選ばれた
(増刊FLASH DIAMOND 2019年11月15日増刊号)